2000-04-24 ムラサキの人に秘められた能力
4月からTA(ティーチング・アシスタント)という名目で,大学の講義のお手伝いをしています。今私は,1年生の電子計算機演習と3年生の某演習を受け持っているのですが,今日3年生の講義を見て気づいたことを少々お話したいと思います。
今日のお題は,UNIXオペレーティングシステムの演習でした。ログイン,ログアウト,パスワードの変更,Xウィンドウシステムの起動・終了という具合に,UNIXの基本(とは呼べないくらい原始的な)操作を練習してもらうのです。私が気になったことは,彼らのキーを打つ速度が緩慢だということです。遅いだけならともかく,キーの配置すら覚えていないような人もちらほら。私はお世辞にもキー操作が速いわけではないので,他人をどうこういう権利はないのかもしれません。しかしながら,この子たちのキーを打つ速度はあまりに遅すぎるのです。最近の子はポインティングデバイスには慣れていても,キーボード操作はかなり苦手のようです。
さて,講義中に学生を観察していると,彼らを数種類に分類できることに気づきます。見るからにオタク,「私を人間扱いしないでください」と気配で訴え掛けているような子は,部屋の隅に座ります。そして講義とはまったく関係のないことを独り黙々とします。一見,コンピュータに精通しているように見えるのですが,実際は違います。簡単なことができなかったり,そもそも先生の話を聞いていなかったりと,非常に怠慢なのです。
意外だったのは,ムラサキスポーツの袋を下げた子たちのチームワークの素晴らしさです。仲間同士で知識や知恵を享受し合う仕組みが確立しているらしく,作業を高速かつ正確に進めることができます。私は,彼らの問題解決能力が極めて高いことを知りました。私は以前「最近の出来事 #1998-1114-01 ムラサキの人,大量発生」でもお話したように,あの袋の中には多い日でも安心セットが入っていると思っていました。でも今日,彼らの様子を見て私はその考えを改めました。
まとめ
「三人寄れば文殊の知恵」というよく知られた経験則の信憑性は,かなり高いようです。ただし集団による能力が最大限度に発揮されるのは,その集団に属する個人の能力がほぼ同等の場合だと考えられます。なぜなら,個人の能力にばらつきのある集団では,能力の低い人間が能力の高い人間に依存しすぎることになります。その結果,集団による能力が,能力の高い一人の人間の能力を超えられない,といった現象が起こると考えられるからです。また能力の低い人間が集団から孤立するということは,知的水準の向上という観点から見て非常に悪い結果をもたらすと思われます。
――経験的にそんな気がするのですが,今度Uくんと談話するときネタにしてみます。――