2004-01-27  G○○D TIM∃Sのト○ルくんはなぜ魅力的なのか

ホムペを求めて三千里,今回は「G○○D TIM∃Sのト○ルくん」の魅力に迫ります。「G○○D TIM∃S」といえばご存知の方もいらっしゃるでしょう。今日のホムペの原点ともいえる大作のひとつです。温故知新というほど歳月が過ぎたわけではありませんが,ト○ルくんが成し遂げた偉業を振返りG○○D TIM∃Sと現在のホムペがどのような接点を持つのかを考えてみましょう。本題に入る前にひとつお断りしておかなければならないことがあります。ト○ルくんはまだ現存する人ですし公人でもありません。私がG○○D TIM∃Sを通じて知り得たト○ルくんの個人情報をここで取り上げた場合,多かれ少なかれ問題の生ずる心配があります。このような特定サイトを名指しした上でのホムペ批評にはあまり例がなく,さじ加減の難しいところです。本報告書ではG○○D TIM∃Sをホムペの事例のひとつと考え,同サイトと当時のホムペ全般の話題を交えて考察することにしました。

私はべつにト○ルくんに恨みがあるわけではありません。ただ大衆文化の歴史はとても尊いものだと思うのです。なぜなら将来の子どもたちが「自分とは何者か」という疑問に直面したとき,過去の記録こそがそれを知る唯一の方法だからです。私はただ興味本位で「ホムペを調査」しているのではありません。本当の狙いはホムペ文化を保存するためなのです(←なんて恐ろしい野望なのでしょうか)。いま私たちにできることは近い過去の記憶を整理しておくことです。記録の断片をWWWに載せておけば,そのうち技術の進歩で一貫した形式でまとめられることは想像するに容易いでしょう。すでに「ホムペ」は学術的な研究対象となり得る段階にまで,成長を遂げたのです。

私は「健常者」の出現に驚いた

G○○D TIM∃Sが公開されたのは1997年です。G○○D TIM∃Sの魅力を考察するまえにその1年前である1996年の状況を整理しておきましょう。私はG○○D TIM∃S公開以前と以後では個人WWWサイトの秩序が大きく変わったと考えています。それを正しく理解するには1996年の状況と1997年に何が起きたのか思い出す必要があるのです。(どこまで本気なのやら。)

1996年のウェブの世界は,一部の研究機関に所属する人々(インターネットの先住民)とパソコン通信からの移民で占められていました。この当時まだホムペは誕生していませんでした(正確にはこの時期に出現していたホムペのようなWWWサイトを「原始ホムペ」というのだが,あくまで持論だし現在のホムペとは似て非なるものです。よってここでは説明しません)。先住民は学者に代表される社会との接点を持たない人々であり,またパソコン通信からの移民たちもしばしば「リハビリが必要」と揶揄されたように,どことなくマニアックな人たちばかりでした。1996年のウェブの世界はほとんどが分別の付く人たちで占められており(もちろんおかしな人もいましたが),善くも悪くもみなさん控えめだったのです。

時は過ぎ1997年,パソコン通信という日陰でありながら先進の文化を知らない人々がインターネットを利用し始めました。私はこれらの人々を「ウェブ世代」と呼んでいます。これは安直に「インターネット=ウェブ」という誤った認識をしている人が多かったことに因ります。この頃からホムペは徐々に増え始めト○ルくんも若年者(10代後半から20代前半)が作成するホムペの代表格として出現しました。ウェブ世代以前と以後では根本的な秩序が違います。ウェブ世代に言わせるとインターネットは無法地帯であり,なぜか匿名性が高いから何をしてもよいというのです。実際にはウェブ世代以前の人々のお行儀が良かっただけであり,だれかが決めたわけではないにしても守るべき暗黙の規則があったのです。このような世代差における軋轢は,しばしば社会問題を引き起こしてきました。しかし悪いことだけではありませんでした。私たちはウェブ世代が創り上げた「ホムペ」という従来の常識から逸脱したWWWサイトに触れることができたのです。私は初めてホムペを閲覧したとき「怖いもの知らず」と豪語するかのような数々の試みに仰天しました。そして「もしかしたら,この人たちこそが健常者なのかも。これからいろいろあるだろうけれど仲良くしていかなくちゃ」と健常者の出現に驚きながらも,共存への道を模索し始めたのです。

第1世代ホムペの誕生

G○○D TIM∃Sが出現した当時,私はあまり同サイトを閲覧した記憶がありません。最初は露出度の高いページくらいの認識しかなかったのです。それではなぜいま注目しているのか,それは多くのホムペを調査していく過程で「G○○D TIM∃Sこそが第1世代ホムペの先駆けであり,いまのホムペのほとんどすべての特徴を備えている」ことを再認識したからなのです。

あのときのト○ルくんはあちこちの掲示板でG○○D TIM∃Sを宣伝していました。ト○ルくんがなぜあそこまで積極的だったのか,今となっては当人でもその理由が分からないのかもしれません。ひとつはっきりしていることは彼にはほかの人に伝えたいことがあったのです。熱心な宣伝の甲斐もありト○ルくんのホムペは,ホムペ界の話題を総ざらいするかのように急成長を遂げました。ト○ルくんは当時としては珍しく100万画素クラスのデジカメに耐えられる容姿だったことも幸いし,たちまち人気者になったのです(個人的な感想ですがあの愛くるしい表情と身体の均整の良さは,ほかのホムペと一線を画していたと思います)。ページロードのカウンター数はうなぎのぼりに増え,リンク数も激増しました。

しかし人気の陰にト○ルくんのネット生活は波乱に満ちていました。「パソコンショップ・ブックマーク事件」「2ちゃんねる事件」などを筆頭に,日々ねたみとの戦いだったのです。人気者は陰口,靴隠しに代表される嫌がらせをされるものです。ト○ルくんも例外なくこの洗礼を受けてしまったのです。気づいている人は少ないのかもしれませんが,ネットでの嫌がらせはホムペの宿命です。ホムペは構造的に付け入る隙がありすぎるのです。「ホムペする」ということは,運営者の自覚の有無とは関係なく「ボクはイタズラされるのが大好きです」と公言しているのと同じなのです。 しかしホムペは隙だらけだからこそ,多くの人の心を引き寄せることができるともいえます。守りの堅いホムペは近寄りがたいですし,守りが堅すぎるサイトをそもそもホムペとはいいません。ホムペの長所は同時に短所でもあるのです。

ト○ルくんからT∀K∀NOSUK∃くんへ

すでにご存知だと思いますが,事実上G○○D TIM∃Sの更新は停止しています。ト○ルくんがあのまま走り抜ければホムペ界の頂点に君臨し続けることができたのでしょうが,ご本人があまりホムペに時間を割けなくなってしまったのか,はたまた興味がなくなってしまったのか分かりませんが現在,開店休業状態です。お休みしている人はそっとしてあげることにして,それではト○ルくんのつぎに注目すべき人物はだれでしょうか。私はT∀K∀NOSUK∃くんだと思います。面白いことにお二人は背景が正反対です。ト○ルくんは純粋な素人であり,T∀K∀NOSUK∃くんは完全な玄人です。ホムペの味付けもまったく違いますが,ある重要な共通点があります。それはホムペの必須事項と深く関係があります。

ホムペに潜在的に求められること,それは「若さと未来」です。私たちがホムペを魅力的だと感じる理由のひとつは「発見・成長する喜びを共有できるから」なのです。たとえそれが錯覚だったとしてもです。第1世代ホムペに共通する事柄は「日々の新しい自分の発見」なのです。分かってしまえば大したことではありませんが,G○○D TIM∃Sを筆頭とする数多くのホムペを調査し,私はようやくホムペの魅了の正体を知ることができたのです。また第1世代ホムペには適齢期があり20代前半でなければならないことも分かっています。仮に30代前半の人が第1世代ホムペを始めたとしても評判は散々なものでしょう。「遅咲きでみっともない人」「にぶい人」「自分の相場を分かっていない人」くらいにしか思われません。人柄にもよりますが,大抵の人は社会経験をそこそこ積めば発見も成長も乏しい生活になってしまいます。それでは第1世代ホムペの基本原則を満足していないのです。

この報告書では,ウェブ世代が創り上げた第1世代ホムペの魅力の正体を解き明かしました。第1世代ホムペの特徴は「発見と成長」です。この枠組みから逸脱しなければ,第1世代ホムペを失敗することはありません。G○○D TIM∃Sのト○ルくんは,ほぼ完璧に第1世代ホムペを実現していました。第1世代ホムペは構造的な欠陥を抱えているため,G○○D TIM∃Sのト○ルくんがそうであったように外部からの嫌がらせを完全に防ぐことはできません。また第1世代ホムペは生活環境の影響を受けやすく,長く続けることが困難です。

――さて第1世代ホムペの欠点を克服したモデルとして第2世代ホムペが密かに実験的に運用されています。第2世代ホムペの特徴とは何か,そのお話はまたいつか。