2004-02-17  肌色のおもひで2003―からだ編―

私の2003年を振り返る「肌色の思ひで」,今日は「からだ編」です。「もう2004年の2月中旬なのに‥‥」と思った人がいらっしゃるかもしれません。私は予告どおりに公開しているだけなので,こればかりはどうしようもありません。

筋トレの真似はかどらずも結果よし

2003年は筋トレの真似が停滞した年でした。多い日が続きすぎて筋トレの真似に専念できなかったのです。それでもまったくやらなかった,というわけではないので傍目には「何か運動している」ように見えたらしいです。

くどいようですが私は数年前から,身体(からだ)に段階的に細工をしています(毒)。第1段は「歯列の矯正と骨格の修正」,第2段は「筋トレの真似」です。2004年の夏には第3段を予定しています。これらは生活水準を高めるため,身体能力を最大限に引き出すためであることは言うまでもありません。私はかねてから「身体性」がとても重要だと考えているのです。

さて「10年前の私はどうだっただろうか」と振り返ってみると,10年前よりも今の方が圧倒的に充実しています。この10年間で私は「若さ」を失っても,途方に暮れないだけの土台を築けたと思います(どこまで本気なのやら)。もちろん「徹夜するとつぎの日しんどい」などという加齢の影響も出始めていますが,それを差し引いたとしても今のすばらしさは余りあるのです。

体液の交換は皆無に

最後は生々しい話です。2003年の私のヨコ漏れ生活は安全性重視でした。そういう機会はかなりあったのですが(漏れすぎ),体液の交換は一度もしなかったのです。昨今,某感染症を筆頭とするさまざまな疾病が世間を騒がせています。私も情報収集を密にし,調査時にも危険性が低くなるようにかなり気をつけました。(注意点として危険性をゼロにすることはできません。それにみなさん既知の感染症に注目しすぎていて,未知の感染症への備えがまったくできていません。既知の病気も昔は未知の病気だったのですよ。この近辺の問題を似非識者たちはどう考えているのでしょうね。)

私だってデビュー当時ほど愚かではないのです。デビューしたばっかりの頃は,色々と試してみたくてときには「不適切なヨコ漏れ」なんてこともありましたが,いつまでも同じことを続けていたのでは「学習能力がない」みたいでみっともないものです。

――以後,意味不明なので読む必要はありません。―――

ばい菌部屋を調査しているときに思うのですが,4人やら5人で体液の交換をしているふしぎ少女たちを眺めていると「何をそんなに急いでいるのかしら」と思います(ふめい)。そして「バッタやコオロギの類いは寿命が短いから急がなければならないのかしらね」と遠い目をしてしまうのです。あるふしぎ少女はばい菌部屋の常連です。ふしぎ少女は夜にばい菌の培養をしておきながら,昼には某パレード会場へ向かい「私たちを認めてください」などとプラカードを持って行列に参加します。一見ふしぎ少女の行動は理解に苦しみます。しかしふしぎ少女が「潔癖でなくても主張する権利はある」と考えているとしたら,どこか腑に落ちないもののその人なりの世界観を私は尊重しなければなりません。

私は矛盾したものが好きです。単純なものクセのない人は,面白くありません。深夜の公園を徘徊する「既婚パパ」もそうですが,建前と本音が複雑に交差し,自らその葛藤に苦しみドロドロになっている人が大好きなのです(趣味が悪すぎ)。