2006-09-27 悪魔の公開メール
書いている途中でどこが公開メールなのか,訳が分からなくなりましたが,せっかくなので載せます。
昔のPCの話ですが,読んでいて気絶しそうになりました。
私がはじめて自分の持ち物として手にしたパソコンは,EPSONのPC-386GE(i386SX,16MHz)でした。あれは高校1年生の春。以下は遠い過去の記憶です。
Microsoft Quick C Ver. 2.0
どういうわけか私もQuick Cを愛用していました。Quick Cを選んだ理由は「値段が安かったから」だった気がします。それまでCコンパイラを使ったことがなかったのと,お友達でC言語を知っている人(使っている)なんか皆無だったので,何がよくて何がだめなんて分かるはずがなかったのです。
付属のマニュアル(木のまな板みたいな厚さだった)を1ページずつ読みながら,自力でC言語の文法を覚えていったのだがポインタあたりで躓きました。「メモリのアドレスを指し示す」ってことの意味は分かったものの,その用途がピンときませんでした。それまでBASICしか知らなかったせいか,使う場面を想像できなかったのです。
変数ポインタはまだしも,関数ポインタまでいくと完全に理解不能でした。こうして,さほど活躍しないまま1年放置してしまいました。
その後,「どうもQuick Cのマニュアルだけでは不足らしい」ということに気づき,技術評論社の「Quick C初級プログラミング入門<下巻>」(河西朝雄 著)を購入しました。この本との出会いをきっかけに,一気に開花した気がします。
- farポインタにセグメント値とオフセット値をセットして,任意のメモリ領域にアクセスする方法
- I/Oポートにアクセスする方法
- OSのファンクション・コールやBIOSの使い方
- インライン・アセンブラの使い方
などなど,かなり実用的な技を身につけることができたのです。
とくにインライン・アセンブラ(_asm{}ブロック中に任意のx86アセンブラコードを埋め込むことができる機能)がお気に入りで,高速化のために乱用していました。
何の予備知識もなくQuick Cを選んだわけですが,結果的に満足できました。
インターコム まいとーく
パソコン通信のソフトです。草の根ネットやPC-VANにアクセスするときに使っていました。
どういう経緯だったか忘れてしまいましたが,「まいとーく」を使っていた期間はかなり短かったです。そのうちWTERMに落ち着きました。ZmodemやQuickVANが使えないとか,そんな理由だったのかもしれません。
愛すべきオンラインソフトたち
EPSON PCのために買ったソフトはQuick Cと「まいとーく」だけで,ほかはすべてオンラインソフトで固めました。最初からパソコン通信ありきの環境だったからなのです。
以下,記憶に残っているものを少々。
- FD - 定番中の定番。ファイル管理ソフト
- ELIS - テキストエディタです。このソフトはシェアウェアでしたが特例適用によりタダで使わせてもらっていました
- HSB - キーの同時押しによるソフトウェアリセット,起動時のメモリチェックを省いて高速に起動するソフト
- TT - 「30行計画」と呼ばれていたものです。たしかディスプレイの同期信号を変更してテキスト領域を5行多く表示するものだったような
- NECO - ディスクエディタ。間違ってファイルを消してしまったとき復活させるために使っていました
- UA - 逆アセンブラ
- MAKI/MAG -16色画像を可逆圧縮・展開するためのセーバ・ローダ
- PICWL - X68Kの世界で開発されたPIC形式画像のPC-98用ローダ。見かけ上の同時発色数を増やすために,2画面あるVRAMに微妙に色を変えて画像を描画し,高速に切り替えて表示する機能がありました
- MPS - お絵かきソフトです。愛称は「まぐろペイント」。後に「マルチペイント」として商品化されました
- MASL - アニメーションのローダ。X68Kの世界でいうPANICと志は同じだったはず
その後のEPSON PCの運命ですが,お引越しのときに捨てました。HDD内のファイルはいまのPCに吸い出してありますが,フロッピーディスクを含め物理的な装置は,影も形もありません。どうせ使わないんだし,持たないことの贅沢を満喫したかったのです。
「捨てて後悔したのか?」というと,まったく後悔していません。むしろ捨てて良かったと思っています。