2005-09-08  悪魔の公開メール

ミニラさん

9月1日の公開メールの続きです。

「Bまでならオッケー」は私のようなホムペ研究者にとって,有意義な企画でした。私は連載を通じてつぎのような研究テーマを思いつきました。これからのホムペ研究における指針となりそうなのです。

<以後,意味不明かもしれないので読み飛ばしてください>

(1) ホムペと報酬系。ホムペは衰退したとされているが,それでもなお長期に渡って運営されているホムペが存在する。これらのいわば「残されたホムペ」の特徴は運営形態が開設当初とまったく変わることがなく,だれが読んでいるのか分からない日記が黙々と更新され続けていることである。掲示板は設置されているものの「カキコ」する人は皆無であり,何が「ホムペする動機」になっているのか外部からは伺い知ることができない。筆者は,ホムペが脳内の報酬系に特異な働きかけをしているものと推測している。彼らは脳内麻薬の虜であり,自分の意思ではホムペを止めることができないのではないだろうか。

(2) ホムペを閉鎖しない人々。近年,ホムペからSNSに移行した人々が急増している。ホムペからSNSに活動の場を移した人々は,ホムペを閉鎖しようとしないことが知られている。彼らはなぜホムペをあえて閉鎖しないのだろうか。SNSが一時的なものだと認識しているからであろうか。SNSが廃れたらホムペに帰って来るつもりなのだろうか。筆者は,SNS のつぎのパラダイムシフトでホムペの住人たちがどのような振る舞いをするかに興味がある。彼らはなぜ手段や道具に振り回され続けてしまうのであろうか。

(3) ホムペから学習できない人々。ホムペが全盛期のころ,高い頻度でサイトの引越しをする人が存在していた。いま同じことがブログでも起きている。ブログの引越し頻度はホムペよりも高いらしく1か月,2か月どころか1週間,2週間で引越しという例も珍しくない。ホムペ時代,引越しばかりする人の行き着く先は「死」であった。ブログでもやはり死が待っているのであろうか。筆者は,彼らの創作物なしに公開する場だけを求める現象に興味がある。彼らはなぜ器ばかりに固執するのであろうか。