2007-05-07  失われた古代文明

【注意】いつもより難易度が高くなっています。完全に業界の人向けです。専門用語がばんばん出てきますが,それが何であるかはあえて説明しません。意味が分からない方は,画像を眺めるだけにしておきましょう。

最近,ミニラさんが「JR-200」をよく話題にしています。私も何らかの手段で対抗しなければならないと思いました。「ミニラさんの独走を許してはならない(ふめい)」,本当にそう思ったかどうかは定かではありませんが,濃いヤツをお見舞いすることにしました。

今回ご紹介するのは,ラジオ少年時代の作品です。手掛けた年代がかなり古いので,感心するのかもしれませんし呆れるのかもしれません。

各種小物

1989年頃に製作。

ラジオ少年であれば,だれでもあのタバコ大のプラスチック・ケースを知っているはずです。私も愛用していました。あのケース,落とすとすぐ割れちゃうんだよね。

左:アンプ付きスピーカ,右:安定化電源

<画像の説明>左はアンプ付きスピーカです。低周波アンプのICにはTA7368Pを使用。トランシーバのイヤホン出力の音声をスピーカで聞きたいときに使っていました。右は小型の安定化電源です。3端子レギュレータにはLM317を使用。電源によりますが,0.5Vから9Vくらいまで電圧を変えることができました。出力電圧はショートピンにより,プリセットできるようにしていました。なかなか重宝していたのだが,ヒートシンクが小型だったため連続使用できなかったのが難点でした。

チロルチョコ大のAMラジオ

1990年頃に製作。

ラジオの大きさは,チロルチョコと同じです。当時,チロルチョコには10円と20円の二種類がありました。違いはチョコレートの分量,つまりはお菓子の大きさです。本当は10円のチロルチョコ大のラジオが作りたかったのだが,部品の大きさの制約でどうしても無理でした。しかたがないので,20円のチョコ大で我慢することにしました。

AMラジオのICにはLA1050を使用。電源はボタン電池(LR1130型)だったので,あれよあれよと電池が消耗してしまい,ラジオとしては役に立たなかった記憶があります。

さて,チロルチョコ大のラジオを作るのは,決して簡単なことではありませんでした。何度か試作して完成させることができました。

初期型のマスクフィルム

<画像の説明>初期型のマスクフィルムです。最初は両面基板にするつもりだったのだが,パターンの引き回しを工夫すれば片面でも良さそうな気がしました。

修正版のマスクフィルム 修正版の基板

<画像の説明>初期型のパターンを変更して片面基板にしました。マスクフィルムと焼いた基板です。まず紙フェノール基板で試作品を作ることにしました。部品を半田付けして動作確認。パターンは部品を紙の上に乗せて考えましたが,本当に部品が乗るかどうかはやってみるまで分かりませんでした。なぜなら部品は立体だからです。

ラジオの前面 ラジオの裏面

<画像の説明>試作品でラジオとして動作することが分かったので,いよいよ本番です。基板がやや特殊でした。市販されているプリント基板は,1.6mmほどの厚さがあります。「これでは厚すぎてケースに入らない」ということになり,もっと薄い基板にしなければなりませんでした。薄さを出すためにポリアミドのフレキシブル基板を作成し,0.5mm厚のステンレス板に貼り付けて強度を持たせることにしました。ステンレスはとても硬いので加工するのが大変でした。ドリルで穴をいっぱい空けてその穴を金属ヤスリで繋ぎ,ひたすら削って平らにしました。バーアンテナの近くに金属板なんかあったら周波数特性が変わってしまいそうですが,そんなのお構いなしだったのです。

あと写真では分かりませんが,抵抗やコンデンサにはチップ部品を使っていました。個人の電子工作ではまだ珍しかったと思います。

ハードケース

<画像の説明>ラジオのケースです。チロルチョコの寸法を測って展開図を作成。方眼紙で外枠を作り,瞬間接着剤を染み込ませて硬化させました。

ケースに入れたラジオ

<画像の説明>ケースに収めた様子です。これが完成品です。チロルチョコの外装をそのまま被せることができました。

失われた古代文明

現物は引越しのときにすべて捨ててしまいました。いつかホムペのネタになると思って(そのときまだ「ブログ」は存在していませんでした),捨てる前に撮影しておいたのです。私はただのオタクではありません。重症のオタクなのです。

当時,周囲にこの趣味を理解できる人がだれもいなくて,かなり苦しい立場でした。もうね,罵られ方が半端じゃなかったの。「気持ち悪い」だの「危ない」だの「テロリスト」だの,まったくひどい言われ様でした。その手の業界にとってソフトもハードもできる(経験のある)人って「花形」なのですが,そんなことを知ったのは後になってからでした。