1999-01-13  卒業論文要旨:オタクに高齢化は起こらない

※注意。私の卒論とは関係ありません。

市内のあるパソコンオタクの人(34歳)が自殺してしまったそうです。人様が死ぬことは面白いことではありませんが,ぼくにとって興味深い事件でした。

自殺した人は「他人のすることに難癖ばかりつけるが,自分では結果を出せない。」「便宜を図ってやっても,“頼んでもいないのに。”などと口答えをする。」「文句ばかりで埒が明かない。」という,典型的な協調性障害(勝手に命名)のオタクの人だったそうです。この手のタイプの人は周りの人たちから,「共同作業のできない人。」「面白くない人。」「仕事も碌にできないのに生意気な奴*1。」などと思われがち…だと私は思います。ほら,言われてみればあなたの身近にもこんな人いるでしょ。

ぼくは「パソコンオタクの人って年を取ったらどうなるんだろう。」と昔から不思議に思っていたのですが,どうやらパソコンオタクの人は,年を取ると間引かれてしまうようです。パソコンオタクに高齢化対策は必要ありません。なぜなら,彼らは一定年齢を過ぎると人目の付かない場所で,静かに消えていってしまうからです。己の未来の暗さを案じた末の選択です。念のため断っておきますが,私はリスクの高い人に注意を促しているのです。「リスクの高い人は悪い。」とか「社会不適応者は存在悪だから死ぬのだ。」などとは一言も言っていません。

「パソコン使えます。」という技能が職場で珍重されたのは,すでに10年も前のことです。当時それは「一太郎(ワードプロセッサ)を不正コピーできる。」「プリンタの設定ができる。」という意味でした。現在では,「ピンク画像の収集ができる。」「不正な音楽データを入手できる。」「それらをCD-Rにコピーする。」といったところでしょうね。程度の低さは昔と変わりません。今これらのこと(画像収集や音楽データのコピー)しかできないという人は,遅かれ早かれ間引きの対象になるでしょう。

道具に使われた人の最後はいつも惨めなものです。おっと,「最後」という言い方は間違えですね。始りがあってこそ「終わり」があるのです。何も始っていない人に終わりはありません。もうお気づきですね。「あの人終わってる。」という言い方は褒め言葉なのです。

*1 仕事がちゃんとできれば(結果を出せるのなら),生意気だろうと何だろうと問題ないのですが。