1999-03-08  数字を追い掛けるイイ子ちゃん

卒論が終わり春休みに入って数週間が経ちました。ぼくは今の時期,学校で修士1年(つまり4月から修士2年)の人とゼミの打ち合わせらしきことをしているのですが,一つ困ったことがあります。この人たちは平和ボケしていて話にならないことがあるのです。

彼らからは夢見る少女のにおいがプンプンします。「赤ちゃんはね,コウノトリさんが運んでくるよ。」とか「大きな靴下が欲しいの。サンタクロースからね,たくさんたくさんたくさんたくさん,"たくさん"って何回言ったか分からないくらい,たくさんプレゼントをもらうの。」などという雰囲気なのです。(もちろんこれは大げさですけど。)

単にぼくがすれすぎなのかもしれませんが,研究に対する根本的な考え方も違いすぎるようです。ぼくの哲学はこうです。

―私たちが目指していることとは,より優れた人殺しの道具を作ることです。またその仕組みを確立することです。どんなに言い訳しようが,美化しようがお砂糖を掛けようがそれは逃れようのない事実です。なぜなら,工学の本質とは人殺し以外の何物でもないからです。(相変わらず極論)―

彼らに「あなたの見解はどうですか。」と尋ねてみても,納得できるような応えは返ってきません。ぼくはそれがとっても不満です。「意見がないのなら,なぜ意見がないのかを今ここで説明してちょうだい。」と問い質したいくらいです。どうも点数の付かない問題に答えは不要と考えているようにも見えます。

―いいですか,「利己主義とは違うの。人殺しでもないの。いい数字を出すとね,先生が誉めてくれるの。」などと数字を追い掛けるだけのイイ子ちゃんでは,遅かれ早かれとんだしっぺ返しを食らうことになるのですよ。もう数字を過信するのはお止めなさい。(でも数字はまるで無意味なのだから,無視しなさいとは言ってないよ。)―

―と当人たちに説教してやりたいのですが,さすがにそこまではできません。ぼくは,個性と障害を取り違えている君たちのことが心配です。でも心配しかしてあげません。ぼくは“大人とあそぶ”のは大好きなのですが,大人の姿をしたお子様の面倒を見るのはごめんだからです。自分でなんとかしてくださいな。

(もっとも,四半世紀も年を取ったのにまだ障害を自覚できていないんだから,今世紀中に“りはびり”できるとは思えませんが。)