2011-11-20  某地下サウナ―輪っかの達人を拗らせた先にあるもの―

※2011年7月の調査報告です。

ある日曜日,市内パパの湯を調査してきました。時刻は,午後1時すぎ。某駅前の喫茶店で昼食を済ませた私は,これからどうしようか考えていました。その日はとても蒸し暑く,外はムンムンとした熱気に包まれていました。

私は,「パパの湯でも調査してこようかな」と思い立ちました。いままで,夏場の昼にパパの湯にお邪魔したことがなかったのです。だから,一度,どんな雰囲気なのか見ておきたかったのです。

シリコーン少女参上

午後2時,パパの湯に到着しました。

まだ時間が早かったのでしょうか。脱衣所兼ラウンジには,あまりお客さんの姿がありませんでした。

私は,「まあ,そのうち集まるでしょう」と思いながら,ひとっ風呂浴びることにしました。浴室もサウナも閑散としており,そういう意味ではお風呂を満喫することができました。

さて,ラウンジに戻りガウンなんか羽織って,ウーロン茶を飲んでいたら,あるオジサマが入店しました。その人は50代前半,水野晴郎先生(故人)と谷村新司を合わせたような人,鼻の下に髭を生やした方でした。以後,新司さんと呼ぶことにします。

新司さんは,軽やかなお姿で私の目の前を通り過ぎて行ったのですが,そのとき「あら,いま何か見えたわ」と思いました。新司さんのお道具には,無数のシリコーンボールが埋め込まれていたのです。

私は,頭の中に電気が走ったかのように,取り乱してしまいました。でも,すぐ正気に戻りました。「ここはパパの湯。シリコーン少女くらいで驚いていたんじゃ調査員は務まらないわよね」と,気合を入れることにしたのです。

浴室から悲鳴

新司さんは,ちょっとした有名人だったようです。

ハールメンの笛吹きに操られる子供たちのように,新司さんの後を追って,人がぞろぞろと浴室へ向かって行きました。これから,何が始まろうとしているのでしょうか。

私もすぐ浴室へ,と思ったのですが,みなさんの邪魔になってはいけません。しばらく様子を伺うことにしました。私は,隣に座っていたパパに,「あの人,知っていますか?」と尋ねてみることにしました。知っているのなら,どんな人か聞いておきたかったのです。ところが,パパは「知らない」とつれないお返事でした。

「あら,残念だわ」と思ったそのときです。浴室から悲鳴が聞こえました。こうなったら,事前調査なんかしている場合ではありませんよね。私は,着ていたガウンを脱ぎ捨て,急いで浴室へ潜入することにしました。

浴室では,新司さんと愉快な仲間たち二人が戯れていました。仲間たちの二人は30代後半,的場浩司風と,40代後半,ザ・ドリフターズの仲本工事風でした。

三人とも浴槽の中にいました。新司さんは,薄ら笑いを浮かべながら仁王立ちになり,浩司さんは,浴槽のへりに手を付いてがんばって体を支えているような状態でした。工事さんは,浩司さんの前面に張り付いていました。

悲鳴を上げていたのは,浩司さんでした。浩司さんは,見た目,自衛官風のお体でかなり強そうなのですが,新司さんに支配されていました。自分の意思では,満足に身動きすらできない状態だったのです。そりゃ,悲鳴も上げたくなりますよね。

シリコーン少女,恐るべしなのです。

※画像は,このお話と関係ありません。

シリコーン少女から怒られる

それから,何分が過ぎたのか分かりません。

新司さんは,浩司さん,工事さんを順に裁き終えると洗い場へやってきました。

私は,「あのー,すみませーん」と馴れ馴れしく言いながら新司さんの隣に座ると,お道具に埋め込まれたシリコーンを触らせてもらうことにしました。

シリコーンは柔らかったです。皮下にくっついているものではないらしく,触るとグニュグニュと動きました。丸く浮き出てた血管のような感触でした。

私は,触診を終えると,無意識に手を洗ってしまいました。すると,新司さんから,「そんな,汚いものを触ったみたいにしないでよ」と怒られてしまいました。私は,「ごめなさい」と謝ってしまいました。

それからというもの,たびたび私は,日曜日お昼のパパの湯を調査しました。

新司さんは,その曜日・時間帯の常連さんだったらしく,毎度お見かけすることになりました。野蛮なお道具には固定客がいて,いつも新司さんの周りには人だかりができていました。

おそらく,輪っかの達人だけで満足できなくなると,埋め込み物に走るようになってしまうのでしょう。ああなると潰しが効かないと思うので,私はあそこまで悪化しないように気を付けることにします。