2010-05-30 いつから私は“ガチムチ”になってしまったのか
この話は,他言してよいものなのか少し悩みました。ネタとして面白いので公開してしまいましょう。
どうやら,私はガチムチらしいのですよ。「え?」どころか「はぁ?」とすら思った人がいると思います。私も未だ信じられないのです。
あるガチムチ兄貴
3週間前の出来事でした。その日,私は某お風呂を調査していました。閉店の時刻になり「けっ,今日も碌な奴いなかったな(←酷い)」と思いながら,私は洗い場でシャワーを浴びていました。
後日,某情報サイトであるガチムチ兄貴が指名手配されていました。
文言は,「昨日××湯のラスト,洗い場で一緒だったガチムチの人‥‥」でした。私はそのとき「ガチムチだのガチガチだの,相変わらずみっともない。いい加減にすればいいのに」と思いました。
ところで,「あのとき洗い場にガチムチなんかいたかしら?」と少し不思議に思いました。洗い場には,私を入れて2人しかいなかったのです。指名手配の主は,そのもう一人なのです。ということは,そのガチムチ兄貴とは,どうやら私のことらしいのです。
私ね,気づいたときに一瞬,意識が薄らいでしまいました。恐ろしくて。
ガチムチ論争ついに解決?
じつは,以前にも似たような指摘をされていたのです。
それは某氏の発言でした。「アナタさ,よく小熊,小熊って小熊系の人のことをバカにしているけれど,アナタ自身も最近,熊っぽいみたいよ」と言われたことがあったのです。
そのときは,「まさかそんなはずが」と思っただけで気に留めていませんでした。
しかし,今回の事件を受けて,なぜ私までガチムチと言われてしまったのか,考える必要が出てきましたね。
単純に,体の大きさは相対的なものであって,細い人からみたら私もガチムチの範疇だったというだけだと思うのです。お風呂の人はかなり華奢でしたので。どうやら体型の呼び名は,絶対的なものではないのです。同じ言葉でも,意味は人によって変わるのです。
おやおや,一連のガチムチ論争がもしかしたら解決するかもしれませんね。解決したからといって,何の役にも立ちませんけれどね。
2010-05-10 私はだめな人間になりました
こんばんは,先週の出来事を手短に。
私はだめな人間になりました
先週の出来事でもなんでもないですが,ここ最近,爆発的な衝動に翻弄され続けています。
あっちでトントン・カンカン,こっちでリンリン・ランランという具合に,もうさっぱり抑えが効かないのです。
事後には少し反省するのですよ。ところが,中毒性のある悪いクスリを服用しているかのように,反省したからといってつぎの行動が変わるわけではないのです。
「いつから,こんなにもだめな人間になってしまったのだろうか。いや,もともとだめな人間だったのだろう」
週末,よく私は慣れない枕に頭を委ねながら,そんなことを考えてしまいます。
某サービスの開発
最近,この手の報告をしていなかったのかもしれません。
2月くらいから某サービスの開発を手がけています。某サービスは,新しい商品です。かなり完成に近づいているのですが,あと一歩というところで進捗の進み具合が芳しくありません。
私は,平日の昼間はべつの仕事をしています。週末の時間を某サービスの作業に割り当てているのですが,飛び飛びに作業しているせいか,どうも集中できないのです。(5月の連休中はかなり専念できたのですけれどね。)
いま始まったことではありませんが,困ってしまいます。ちなみに,某サービスって経費がちょっと高めです。稼動しても数年は儲からないのかもしれません。いやはや,困ってしまいます。
美容整形の機会を逃しました
昼の仕事の話が出てきたので,ついでにしちゃいましょう。
私ね,去年の秋にまた整形手術を受けようと思っていたのです。整形といっても,ほくろを取るだけなんですけどね。
でも,昼の仕事をしていると,ほくろを取る手術すら躊躇してしまいます。「顔の絆創膏どうしたんですか?怪我でもしたんですか?」って,尋ねられるに違いないのです。さすがの私でも,「整形したんですよ」とは言えません。
(少し説明しておきますが,ほくろを取る治療には大雑把に2種類あります。レーザーで色素を飛ばす方法と,メス(外科手術)でほくろを抉り取る方法です。レーザー治療の場合は,もしかしたら絆創膏はいらないのかもしれません。顔にメスを入れた方が,はっきりとした結果が得られるので,私は外科手術を希望します。)
さて,整形手術を受けたことのある人なら分かると思いますが,手術後は入浴が困難になります。暑い時期に手術を受けてしまうと,傷口が閉じるまで不快でたまらないと思うのです。
だから,涼しい季節にやった方が良いのですが,時期を逃しましたね。すでに涼しいとは言えない季節になってしまいました。
2010-05-06 虹色シラネーヨ
むし暑い季節になってきたーヨ
じっとり汗ばんできたーヨ
パパに体を預けてみたくなってきたーヨ
2010-05-04 3Dテレビがなぜ話題なのか理解できなくて困っています
いまなぜか3Dテレビが話題だそうです。私は,この現象が理解できなくて困っていました。某日,市内家電量販店でパナソニックの3Dテレビが展示されていたので調査してみることにしました。
いったいどんな映像なのでしょう。
なぜか行列
当たり前なのかもしれませんが,3Dテレビはテレビ売り場にありました。売り場へ行ってみると,そこには3Dテレビを観るための行列ができていました。
少し説明しますが,現在の3Dテレビは専用メガネを掛けなければ正しく観ることができません。
そんなに珍しい映像が観られるというのでしょうか。私も列に並んで,立体映像を鑑賞してみることにしました。
なぜか20年前の画質
3Dテレビのデモは2箇所で行われており,それぞれ石川遼選手のバンカーショットとビーチバレーの映像が流れていました。
3Dテレビの立体映像を見た第一印象ですが,「20年前のテレビみたいだな」と思いました。解像度が低く,色がとても悪かったのです。飛び出して見えることを優先しているのか,画質はまったく考慮していないようでした。
肝心の立体映像は,過去に何度か見たことがあったので,何の新鮮味もありませんでした。
むしろ,この21世紀に昔と同じことをしていることに驚きました。同時に「テレビの時代って本当に終わっちゃったんだな」と確信しました。
私が欲しいテレビ
結局,3Dテレビがなぜ話題なのか理解できませんでした。冒頭では「理解できなくて困っている」と言いました。本当は大して困っていないので,もうこの話は終わりにしますね(なぞ)。
最後に,私が欲しいテレビの話をします。
私ね,テレビを観なくても済むテレビが欲しいです。テレビって,情報の密度が低すぎるのです。活字にすれば1行で済むような情報を10分も20分も掛けて放送しているのです。
「テレビを観なくても済むテレビ」が具体的に何なのかというと,ハードウェアはいまのテレビと大して変わりません。変えるのは放送局側です。同じ番組に,標準版と短縮版の二種類を用意するのです。短縮版は名前のとおり放送時間が短く,標準版よりも早く終わってしまいます。
たとえばニュース番組だったら,「近所のおじいちゃんが車に轢かれた」だとか「××市で菊の展示会が行われた」みたいに,重要度の低い情報を差っ引いて短縮を図ります。
高めてほしいのは,映像の解像度でもチャネル数でも,さらには画面の大きさでもありません。情報の密度なのです。
さて,物事の重要度が高いであるとか,低いであるとか何を根拠に決めれば良いのでしょうか。正解はなくて,人それぞれ違うと考えるのが自然ではないでしょうか。個人の嗜好で番組を作り変えるのは,技術的に難しいでしょう(将来的に目指すべき方向だとは思いますが)。現実には年齢・性別という大雑把な括りで,重要度を変えることになるでしょう。