2004-06-09 2004年東京大調査1日目―特別編:ミニラさん某ナイトでオラオラSOS―
――予告していたミニラさんと某ナイトに行ったお話です。長文で読み難いのですが,これはわざとです(なぞ)。積極的に読ませないための罠です。
ACEを探せ
東京大調査1日目,私はミニラさんと某ナイトに行く約束をしておりました。潜入の6時間前,私は会場を下見するために新宿区内の某所を調査することにしました。某ナイトは名前のとおり夜間に開催されます。明るいうちに某ナイト会場の在り処を確かめておきたかったのです。
事前情報によると会場は「某コンビニエンスストアの向かい側」にあるらしい。驚くことに情報はそれだけでした(どこまで本当なのやら)。たったこれだけのヒントで辿り着くことができるのでしょうか。滞在先のホテルから歩いて十数分,会場付近と思われる路上に到着しました。見渡すと確かに某コンビニがありました。某コンビニの向かい側へ移動してみると,それらしき雑居ビルがあり地下へ伸びる階段が口を開けていました。どうやら某ナイトはこの場所で開催されるらしい。私は場所の特定に成功したのです。
待てど海路の日和なし
それからミニラさんと再びこの場所に訪れたのは,21時のことでした。急な階段の下からは轟音が鳴り響いていました。階段を降りると受付があり,そこでお会計を済ませると,「赤色」「緑色」「白色」の番号札を選ぶよう指示されました(すみません,色の種類は記憶が確かではありません)。「赤色が年下,緑色が年上,白がどっちでもいい」という意味だったと思います。私とミニラさんが各々どの色の番号札を選んだのかは秘密にしておきます。大人の都合なのです。
まだ早い時間でしたが,会場内にはほどほどに人が入っていました。しかし人の数とは裏腹に,さっぱり盛り上がっている気配はありませんでした。みなさん大人しく椅子に座っているだけだったのです。「まだ時間が早いからかしらね」なんて言いながら,私はお酒をがぶがぶ飲み始めました。気づいたら所持金すべてを使ってしまい(万一のときを考えて数千円しか持っていかなかったのです),かなり酔いが回っておりました。私はいつになくイジワルでした。ミニラさんに「ちょっとぉー,来てからけっこう時間経つけど(もう2時間くらい),この子たちってどうして座ったままなのかしらね。もっとお披露目しないといけないのにね」などと,独り吠えておりました。
ミニラさんオラオラSOS
時刻は午前0時をすぎ,店内は擦れ違うのがやっとというほど混雑していました。しかし「お座り組み」が,石のように微動だにしない状況は相変わらずでした。どうやらこのナイトは,ウソでも清楚に振舞わなければならないものだったのです(いやみ)。
この頃,私の乱れ(ふめい)は頂点に達し,無性にミニラさんを弄りたくなってしまいました。ミニラさんをべたべた触り始めてしまったのです。ミニラさんはきっと「スーツに手垢をつけないでよ。この酔っ払いが」と思っていたに違いありません。でもそんなのおかまいなしです。仕舞いに手のひらで,ミニラさんの髭をジョリジョリしてしまいました。あのミニラさんの髭をジョリジョリですよ。マニアだったら生唾ものなのです(毒)。ミニラさんは「いやーん」とか「はーん」などとしきりにオラオラSOSを発していました。「やめてお兄ちゃん,そこだけはイヤ」とは言っていませんでしたが(ふめいすぎ)。
さて,いつまでも弄りまくっているわけにもいきませんでした。「そろそろ場所変えましょうか」ということになり,午前1時すぎくらい(時刻はうろ覚え)に会場から出ました。行き先は決めていなかったのだが,まず某コンビニで水を買い,某緑地で休憩することになりました。その頃には私の酔いはだいぶ収まっておりました。
調査された調査員
私は気になっていました。「もしかしたら,某ナイトでミニラさんを弄り回していた場面をVJ-∀K∀HIG∃少年に調査されていたのではないか。もしそうだとしたら『らい○うたん』に報告されてしまう」なんて思い始めていたのです。でもそんな不安はそのうち消え去りました。そんなの私の恥ずかしい経験からすれば取るに足りないことです(すごい開き直りぶり)。ミニラさんの靴を隠したり,体育帽を盗んだりといった悪質なものでは決してなかったのです(ふめい)。
こうして東京大調査1日目は終了しました。宿泊先に戻り2日目,3日目の調査を考えながら,私は浅い眠りに付いたのです。
――以上で2004年東京大調査の報告は本当に終わりです。今回の「旅」ではミニラさんのお世話になりっぱなしでした。ミニラさんお疲れさまでした。また某ナイトに行きましょうね。
2004-06-06 2004年東京大調査3日目―差し歯女の晩餐―
――つづき
某公園の車窓調査を終え,羽田空港に到着したら17時になっていました。あと30分ほどで搭乗手続きが始まるらしい。早すぎず遅すぎずちょうど良い時間でした。私は待合所の椅子に腰掛けて,旅の回想に耽っておりました。「東京大調査は濃かった。しかもすごい量だった」と。計画していたことは恐ろしく計画通りに,それ以外も予想以上に充実していたのです。
そんな感慨深げな私を突き放すかのように,後部座席からは「ガサガサ」とか「バキバキ」という耳障りな音が響いていました。それは菓子を啄む音でした。ちらっと覗いてみたら,自然界には決して存在することのない白い歯をちらつかせた女性が肥満食を食らっておりました。それは間違いなく差し歯でした。私は差し歯女の晩餐に遭遇してしまったのです。こんな機会,滅多にありません。私は調査を開始しました(不審すぎ)。
調査と言いながら,じろじろと口元を観察するわけにはいきません。私は耳に伝わる 音だけで,彼女の咀嚼(そしゃく)を頭の中で思い描き続けました。どうやら前歯でスティック菓子(グ○コポッ○ーのようなもの)を食べているようでした。私は「あんなに差し歯に負担を強いる食べ方をして。この女の差し歯は5年も持たないな」と思いました。さらに「ポッ○ーを食べたら差し歯が割れたと大騒ぎしないだろうか」なんて嫌なことを考えながら,ひとりニヤニヤしてしまいました(オラオラはしてません←ふめい)。
これで2004年東京大調査の報告は終わりです。最初から最後まで意味不明でしたが,それは私が意図的に意味を鮮明にしなかったからです(なぞ)。初夏の陽気に魘されて(うなされて)いたからです(再三なぞ)。調査報告の肝は「ミニラさん」だったのです。それ以外の報告はおまけだったのです。というわけでつぎは特別編,「2004年東京大調査1日目――ミニラさん某ナイトでオラオラSOS――」ですよ。
2004-05-31 2004年東京大調査3日目―調査員の挑戦そして挫折―
――つづき
【お断り】本文にはあたかも「JR京葉線に乗った」ように書いてあるのですが,手元の記録では「武蔵野線快速に乗った」ことになっており,「京葉線」と「武蔵野線」がごちゃごちゃになっております。どうも双方が東京駅の同じホームに乗り入れているらしいのだが(これも未確認),詳細を調査するまで時間が掛かりそうです。後で調べておきますので,今日は「武蔵野線」の記述を省かせていただきました(いい加減)。
私は上野駅からJR山手線で東京駅へ向かいました。東京駅で初めて気づいたのだが,京葉線のホームってとんでもなく離れているのですね。天井からぶら下がっている案内板にも,「この先600m」などと平気で書いてあったような気が。これは罠に違いありません(ふめい)。理不尽なお仕置きに違いありません。でもこの程度の仕打ちで音を上げるようでは,調査員は務まりません。私は颯爽(さっそう)と動く歩道を渡り歩きました。
東京駅の京葉線ホームは地下にありました。某公園の上を通過するらしい電車がたまたま停車していたので,私は勢いよく乗り込みました。電車が発車してから気づいたのですが,いきなり地上に出るのではなくて,しばらくは地下トンネルを走り続けるのですね。あとで調べて分かったことですが,あの地下トンネルは「成田新幹線」が計画されていた時代に作られた設備を流用したものだそうです(成田新幹線は実現されず,1987年に計画そのものが失効したそうです)。
時刻は16時をすぎていました。地下トンネルを走り続けていた電車がいよいよ陸に這い上がり,夕刻の柔らかな日差しが車内に広がりました。電車は高架の上を走っているらしく,どうやら周りは海のようです。そろそろ某公園を観察できるはずなのですが,一体どこにあるというのでしょうか。事前情報には不足があり,公園が電車の進行方向の右側に現われるのか,左側に現われるのかすら分かっていませんでした。調査員である私は焦り始めていました。
乗客に怪しまれないように景色を凝視し続けて数十秒後,左手の車窓にそれらしい緑地を発見しました。あれが某公園なのでしょうか。それにしても離れすぎです。双眼鏡でもないとまともに調査できないくらい距離があったものだから,私の吊革を掴んだ腕はガクンと折れました。調査員の挑戦は見事に失敗したのです。緑地が見えた時間は,30秒程度だったと思います。道なき道を歩いている人を一人だけ確認できましたが,それ以上の収穫はありませんでした。
あの公園は危険ですね。上空から観察するとはっきり分かりますが,とんでもない僻地だし,なにより周りが海で逃げ場らしい逃げ場がまるでないのです。公園歴9年(本当は10年かもしれない)の私がそう判断するのですから,間違いありません(なぞ)。あの公園はかなりの玄人向けです。
つづく――
2004-05-28 2004年東京大調査3日目―異次元に迷い込んだ私・後編―
――つづき
ドトールを後にし,某ばい菌部屋への再接近を図りました。私は新しい発見をしました。どうもさっき見たのは建物の裏側だったらしく,入り口は反対側にあるようなのです。
入り口は狭い路地に面していました。私は恐る恐る路地に入り込んでみました。その細い道はとてもおどろおどろしく,犯罪者が潜んでいそうな雰囲気でした。さて,ちょうどばい菌部屋の入り口に差し掛かったときでした。こともあろうにばい菌部屋の玄関が開き,中から人が出てきてしまったのです。突然の事態に私は動揺しました。とっさに隠れる場所を探しましたが近くに電柱も自動販売機もなく,隠れることができませんでした。2004年東京大調査最大の危機に瀕してしまったのです(←どこまで本当なのやら)。
私は「冷静にならないと,とにかく慌ててはだめ」と身構えました。するとどうでしょう,うまく虹色業界人とすれ違うことができました。きっと日ごろの阿漕な訓練の賜物なのでしょう。私は虹色業界人の服装がかなり気になりました。直視できなかったのではっきりしたことは分からないのですが,幼稚園児が着る雨合羽のような真っ黄色の格好をしていたのです。落ち着いて調査すればよかったですね。
路地を通り抜けた後,近辺をうろうろしてみました。上野には怪しい店がたくさんあるのですね。上野といえばパンダですが,みなさんパンダに騙されてはいけません。パンダは大衆の目を欺くダミーです(ふめい)。上野は異次元です(再三ふめい)。
すっかり気を良くした私は(なぜ気が良くなったのかは「なぞ」である)某有名映画館の場所も調査してしまおうと思い,ミニラさんにメールで尋ねてみました。でも残念ながらお返事が届いた頃にはすでに時間切れで,調査できませんでした。もう飛行機に乗る時刻が迫っていたのです。無論あの映画館から沸きあがる空気を吸っただけで,生還できないそうですので,調査できなくてよかったのかもしれません。「それでよかったのよ。明菜ちゃん(by トト○ス通信の人)」だったのです(なぞすぎ)。
さて東京大調査もいよいよ終盤,ついに羽田空港へ向かうことになりました。私は調査員として最後の抵抗を決意していました。なんでもJR京葉線から某公園を一望できるらしい。わざわざJR京葉線を経由して羽田空港へ向い,車窓から某公園を調査しようとしたのです。そこに大変な罠が待ち構えていることも知らずに。(どんな罠か分からないが,大した罠でないことだけは確か←なぞ)
つづく――つぎは「調査員の挑戦そして挫折」です。
2004-05-26 2004年東京大調査3日目―異次元に迷い込んだ私・前編―
――つづき
パンダ橋上にて,怪しげな看板との遭遇を契機に調査を再開した私。早速,看板のある地域に行ってみました。歩いて数分すると,某ばい菌部屋と思われる建物の前に到着しました。一見,小さな雑居ビルでしかありませんが,窓ガラスという窓ガラスすべてが目張りされており不気味な空気を漂わせていました。
ばい菌部屋と思われる建物の前を通りすぎると,大きな交差点に出ました。そこでたまたま「ドトール」の店舗が目に入ったので一旦,調査を止めて昼食を採ることにしました。
ドトール内で私は窓際の席に座りました。ジャンクフードを頬張りながら外の景色を眺めていると,道路越しにある雑居ビルの窓ガラスも目張りされていることに気づきました。私は「きっとあれもばい菌部屋なんだわ」と思いましたが,いまいち確信が持てませんでした。そこでミニラさんにメールで問い合わせてみることにしました。
ミニラさんの情報によると「ああ,あのドトールにいるのね(ふめい)。看板があるっていうビルはたぶん某有名商業施設だと思うけど専門外だからよく分からない。目の前のビルはビデオ屋だよ」とのことです。そうと分かれば話は早いというものです(なぞ)。のんびりアイスコーヒーなんぞ飲んでいる場合ではありません。私はさっさと昼食を済ませドトールを出ました。某ばい菌部屋の建物をもう一度,調査しようと思ったのです。
つづく――つぎは「異次元に迷い込んだ私・後編」です。
2004-05-26 某スーツナイト調査報告の是非
こんばんは,いまさらですが東京大調査3日目の報告が完了したら1日目の追加報告をしようと思います。「某スーツナイト」のお話をやっぱり掲載したいのです。いろいろと考えて触れないことにしていたのですが,その後いろいろと考えたら報告せずにはいられなくなってきたのです。うずき出してきてしまったのです(ふめい)。
以下に大雑把なあらすじです。
- 私は当日,明るい時間帯に会場を下見していた
- 事前にミニラさんを某ナイトに誘っていた
- 顔にシリコンの詰め物があるわけじゃないのに,ブラックライトの光を過剰に嫌がる私
- ビール5杯,ジントニック2杯を飲み干しすっかり酔っ払いの私
- 「なんだか控えめな人が多いね。あんなんじゃデキないんじゃないの。だいたいどうして座りっぱなしなわけ。売れ残るだけなのにね」などと,いつになく酷評をべらべら喋り続ける私
- 必死に他人のフリをするミニラさん
- みんなが見ているのにミニラさんに大胆なセクハラ行為(ふめい)をする私
- 行為の一部始終をじっと見つめる∀K∀HIGE少年(実際には見られていないと思いますが)
というありさまだったのです。ぜんぜん調査になっていなかったのです。思い出すと痛々しくて,あまり触れたくなかったのです。でもネタ満載で,触れずにはいられなくなってしまったのです。
2004-05-25 2004年東京大調査3日目―東京国立博物館―
――つづき。東京大調査3日目,東京国立博物館へ行ったお話です。お話は上野駅から始まります。
公園口を出るとあまりの人の多さに閉口しました。連休中ということもあり,家族連れで身動きが取れないような状態だったのです。だれでも考えることは同じなのですね。国立博物館へ行くにはどうすればよいのでしょうか。地図を眺めてみると,どうやらこの家族連れの列に沿って歩けば到着できそうです。
どうにか国立博物館の入り口に辿り着いたのだが,入場券は自動販売機で買わなければいけないらしい。自動販売機の前にはまたまた列ができていたので,私はその列に並びました。幸い入場券は3分ほど待ったくらいで購入できました。さて,国立博物館なんですけれどすごく規模が大きいのです。建物も「本館」「東洋館」「平成館」に分かれており,すべて見るのは大変なのです(ほかにも一般公開していない施設があるそうです)。
私はまず東洋館を見学しつぎに本館,平成館へと足を運びました。かなり乱暴にでしたが,いちおうすべてを制覇してきました。博物館は建物がとっても立派でした。博物館自体がそのうち文化財になってしまいそうな雰囲気だな,と思っていたら「本館」はすでに重要文化財だそうです。いやはや道理で豪華だったわけです。
博物館の見学が終わると,時刻はもう14時をすぎていました。いい加減お昼ご飯が食べたかったのですが,辺りにそれらしいお店は見当たりませんでした。私は大きな橋(あとで調べたら「パンダ橋」という名前らしい)を歩けば市街地に出られそうな気がしたので,とぼとぼと橋の上を歩いておりました。すると,遠方に某ばい菌部屋と思われる青色の看板を発見してしまいました。こんな場所で遭遇するなんて,きっと何かの縁に違いありません(ふめい)。私は唐突に調査を開始したのです。
つづく――つぎは「異次元に迷い込んだ私」です。次回,伏せ字が分からない人が続出しそうなのでヒントを。「上野大番」「BYG GYM」「上野地下特選劇場」「新木場公園」がお話に登場しますよ。まさに異次元(なぞ)。
2004-05-16 2004年東京大調査3日目―最終日は美術館ざんまい―
――つづき。やや長めになってしまいました。
前日,早く床についたせいか朝6時に目が醒めてしまいました。「早く起きすぎたかな」と思いましたが,目覚めが良かったので二度寝はしないことにしました。 朝食バイキングは7時半からだそうで,まだ時間がありました。私はそれまでに身支度を済ませてしまいました。朝食を済ませチェックアウトしたのは8時すぎだったかな。朝の新宿駅は閑散としていました。
3日目は最終日です。「岡本太郎記念館」に行くつもりだったので,新宿駅から渋谷駅まで山手線で移動し,そこから地図と睨めっこしながら徒歩で岡本太郎記念館を目指しました。途中「表参道」を歩いたのだが,緑が多くて景観の良い地域だなと思いました。建物が芸術的というか凝ったものが多かったですし,道端にゴミがほとんど落ちていなかったので,すごく手入れが行き届いている印象を受けたのです。
数十分間歩いて岡本太郎記念館に到着したのは9時半のことでした。岡本太郎記念館の開館時刻は10時なので,早く着きすぎてしまいました。なんでも近くに「根津美術館」という施設もあるそうです。そちらの開館時刻は9時半だったので,予定外でしたが根津美術館に立ち寄ることにしました。
根津美術館の素直な感想は「消費されず消滅もしなかった作品は幸せね」と思っただけでした。私に教養がないせいでしょうけれど(漢文も読めませんし),美術品としての価値は分かりませんでした。
岡本太郎記念館は,実家をそのまま記念館にしたらしく見た目は大きめの民家でした。民家なので,建物の中は廊下と小部屋で分けられており,そこらじゅうに作品が展示されていました。1970年の万国博覧会会場に建設された「太陽の搭」の模型(高さ1mくらい)も置いてありましたよ。岡本太郎記念館はちょっとした異次元空間でした。かなりおすすめです。
岡本太郎記念館を後にし,今度は「東京国立博物館」へ行くことにしました。土器と絵巻が観たかったのです。国立博物館は上野駅の近くにあるらしい。私は渋谷駅から一旦,新宿駅に戻り,新宿駅から中央線で神田駅まで移動し,山手線で神田駅から上野駅に行きました。またまた「橙色の憎い電車」に乗ってしまったのです(なぞ)。
上野駅に着いてみたら,なんだか人が多い気がしました。博物館へ行くには「公園口」という改札から出るとよいらしい。公園口に近付くにつれて「人が多い」じゃなくて「足の踏み場もないくらい人だらけ」だということに気づきました。
つづく――
2004-05-14 2004年東京大調査2日目―『魔法がばれちゃった』はまだ早い―
――つづき
私はベットの上でゴロゴロしながら「某ばい菌部屋を調査しようかな,やっぱり止めておこうかな」と少し悩みました。「旅の恥は掻き捨て」と言うように,旅先で乱れてしまう人はありふれているし,なにより計画では調査するつもりだったのです。それではどうして当日になって迷いが生じてしまったのでしょうか。それは損得を素直に考えたら「調査とはいえ近付かない方がよい」という結論になったからなのです。
私はなんだかんだいって小心者だし,長生きもしたいと思っています(いまさら)。だから安全性に問題のある場所には近付きたくありませんでした。と言いながらそれはいちばんの理由ではありません。いちばんの理由は世間の目です。旅先での調査とはいえ,調査員が調査されてしまう危険は常に付き纏うものです。くどいようですが「魔法少女アメージング・ユミ,第46話『すごいヨコ漏れ・魔法がばれちゃった』」は未放送なのです(ふめい)。「アメージング・ユミ」の最終回はまだまだ先なのです(再三ふめい)。
意味が不明になりすぎましたね。調査を断念した私は,ベットの上でゴロゴロしながら数人の方に携帯電話からメールを打ちました。そうでもしないと私の気が収まらなかったのです(なぞ)。嵐のようにメールを送りつけた後,「あしたは最終日,朝早く出かけよう」そんなことを考えながら眠りました。
つづく――つぎはようやく3日目の報告です。
2004-05-14 2004年東京大調査2日目―鏡の中は視線地獄―
――つづき
新宿駅付近には,虹色業界人の集まる便所が複数あるそうです。私がその中の,某ビル地下1階便所に入ろうとしたときのことでした。便所入り口付近の洗面台は,すでにふしぎ少女5人ほどに陣取られていました。私は鏡越しに少女からの強烈な視線攻撃を受けてしまい,精神的な身障者になってしまうかと思いました。鏡の中は視線地獄だったのです(なぞ)。
ふしぎ少女たちはオレンジやグリーンのとても鮮やかな色の服を着ていました。まさに子ども服でした。しかも蛍光剤入りの合成洗剤を愛用しているのでしょうか。青白いような異様な光を放っていました。眼が焼けるような感じがしたので,たぶんあの光には紫外線も含まれていたのだと思います(ふめい)。まさに有害光線だったのです(さらにふめい)。
少女たちはそろって日やけしており,黒い肌に白目だけが真っ白く浮き上がるような状態でした。まだ若いせいか,肌のきめはかなり細かくいわゆる「汚い日やけ」ではありませんでした。でもこの子たちも,あと3年もすれば賞味期限切れでしょうけどね(毒)。いやまったく,ちょっとくらい嫌味を言ってやらなければ私の気が収まらないのです。あまりに眩しかったので(なぞ)。
さて便所の調査といえば,やはり個室の落書きを見ないことには始まりません。ところが ふしぎ少女たちの抵抗はかなり激しく,内部への潜入を許さなかったのです。さすがの私でも入り口で立ち往生してしまい,個室までは調査できなかったのです。きっとあの少女たちの立ち位置には,場所代が掛かるのだと思います。一人5千円くらい払わないと場所を空けてくれないし,通してもくれないような雰囲気だったのです。私もまだまだ修行不足なのですね。
こうして不十分ながら便所の調査を終えた私は,予想以上に体力を消耗していました。視線地獄に圧倒されてしまったのです。とってもお腹が空いたので奮発して高カロリーな夕食を摂り,宿泊先に戻りました。時刻は20時をすぎていました。予定ではこれから某ばい菌部屋の調査をすることになっていました。しかし私は直前になって,ばい菌部屋の調査を断念しました。なぜ調査しなかったのか,次回はその理由をお話します。
つづく――
2004-05-13 2004年東京大調査2日目―橙色の憎い奴―
――つづき
いきなり訂正です。前回の報告では,JR山手線で神田駅に行ったと言いましたが誤りでした。正しくは秋葉原駅のホームでJR総武本線を快速だと勘違いして乗ってしまったのでした。行き先表示が「新宿方面」だったものだから,とくに疑わなかったのです。動き出してみると各駅停車の電車だったので「違うんだ」と気づき,四ッ谷駅でようやく中央線に乗り換え新宿へ向かったのです。
中央線といえば「橙色の憎い奴」です(なぞ)。私はその橙色の調査に成功しました(さらになぞ)。橙色の車両がホームに入る場面を見たら,なんだか吸い込まれてしまいそうな錯覚に襲われました。やはりあの車両には妖しい魅力があるのでしょう。橙は頼もしい色というか力強い色というか,余すことなくみじん切り(有害)すべてを粉砕(有害)してくれるような期待を抱かせる色なのでしょうね。
さて,念願の中央線乗車を果たし新宿駅にたどり着くと19時近くになっていました。そろそろ飯時です。でも私は秋葉原の喫茶店ルノアールでケーキを食べていたせいか,あんまりお腹が空いていませんでした。お腹を空かせるためには適度な運動が有効というものです。運動といえば調査です(なんでだよ)。私は新宿駅近辺の便所を調査することにしたのです。なんと1日目だけではなく2日目も調査してしまったのです。
つづく――。つぎは「鏡の中は視線地獄」です。どうでもいいけど,東京大調査の全報告を終えられるのはいつなのでしょうか。自分でも分からなくなってきましたよ。オラオラ(ふめい)。
2004-05-10 2004年東京大調査2日目
――つづき。ようやく2日目のお話です。
起床したのは朝9時すぎでした。昨晩アルコールを摂取したわりに目覚めはよく,体調も良好でした(前日アルコールを摂取したお話は報告していないので,話が繋がっていないのですが←なぞ)。私はまずお風呂に入ることにしました。お風呂に入っているとふと「そういえば昨日着た上着が汗でどろどろだったよ。洗濯しちゃおう」と思いつき,浴槽の中でお洗濯を始めました。ボディーソープを洗濯物にくっつけて足で踏み踏みしてみたのです。
お洗濯は想像していたよりも楽しく,つい不思議な踊りをしてしまいました(ふめい)。「都会の真ん中で,なんと原始的なことをしているのだろうか」,そんな違和感に私は酔いしれてしまったのです(さらにふめい)。それでも踏んでいる間に洗濯物はすっかりきれいになり,浴室にハンガーを掛けて洗濯物を干しました。ちなみに巷には折り畳める洗濯板が存在するらしい。ぜひ一品揃えておきたい小道具だと思いました。さてお洗濯の後,私は朝食兼昼食を摂り,JR山手線で秋葉原へ向かいました。その日は大学時代のお友達(見えないオトモダチではありません)と雑談する用事があったのです。
秋葉原に到着したのは13時頃でした。なんでもこの地域は再開発中とかで,ガラス張りの高層ビルが三棟ほど建設されているようでした。その谷間には紺色の民族服を着た人が大勢,歩いていました。私はおかしな感覚に襲われました。あの人たちと現代的な建造物は水と油というか,豚に真珠というか,どうにも相容れない気がしたのです。街の色というのは,そこにいる人たちで決まるものです。ガラス張りの建物がさっぱり映えない気がしたのですが,おそらくこのような住人不在による再開発は官と民の温度差の現われなのでしょう(意味なし)。
時刻は15時になり,私は大学時代のお友達(くどいようですが見えないオトモダチではありません)と合流しました。一行は街をぐるぐるしたあと,「ルノアール」という喫茶店に入りました。そこでの話はいつものように異次元だったので,あえて説明しません。結局,何の話をしたのか覚えていないのです(ふめい)。18時をすぎ一行は秋葉原デパート内で解散しました。
私は秋葉原駅から山手線で神田駅まで移動し,神田駅から新宿駅までJR中央快速線で帰ることにしました。中央線といえば人身事故で有名な路線です。ぜひ調査してみなければいけないと思っていたのです。ホームに出るとちょうど電車がきたので,私は何の疑いも抱かず電車に乗り込みました。しかし電車が動き出してから「おかしい」と思いました。どうも乗る電車を間違えてしまったようなのです。私は無事,帰ることができるのでしょうか。また私はいったい何をしたいのでしょうか(ふめい)。
つづく――
2004-05-08 2004年東京大調査1日目―ミニラさんとおさんぽ―
――つづき。ミニラさんとおさんぽしたお話です。
夕飯を終えた後,ミニラさんは近場の名所を案内してくれると言い出しました。ミニラさんはこの地域の商業系施設にかなり通じているらしく「大久保ってとってもエキゾチックな街なんだよ」と言いながら,繁華街を一緒におさんぽしてくれたのです。
私は驚きの連続でした。「ここがね,あの○○○○○子ちゃんが行っていた部屋」「こっちが‥‥」という具合に恐ろしいほど詳しい解説がなされたのです。かの「鳩バス」でさえこんな詳細な説明はされません(ふめい)。なにより狭い地域にばい菌部屋が密集している様は圧巻だったのです。仮に私がひとりで調査しようものなら半日掛かるような仕事が,わずか20分間ほどで終わってしまったので,すごく得をした気分だったのです。
その後,新宿区内の某緑地へと場所を移し,ミニラさんと雑談することになりました。あの場所で「Microsoftの.NETフレームワークってどうなの」「Geckoの描画速度が遅いのはなぜ」「EGCあたりからブラックボックス化が加速しはじめたよね」などというマニアックな話をしたのは,私たちが最初で最後だったと思います。まさに業界初の試みだったのです(ふめい)。周囲に何人かふしぎ少女やシスターズがいましたが,まったく近寄れない気配を放ってしまいましたね(再三ふめい)。
さて,そんなことをしていたら午前4時をすぎていました。そろそろ帰る時間です。ミニラさんと私は新宿駅まで歩きました。ミニラさんは始発電車で帰宅すると言っていました。私は駅近くのホテルに滞在していたので,その場でお別れしました。ミニラさんお疲れさまでした。なんだかんだいって9時間くらいお話していたのですね。とても時間が短く感じられました。オラオラ(なぞ)。
「無難なことだけ報告しているわ,怖い子」と思われたかもしれません。「某ナイトの話がごっそり削除されているわ」と思った人もいるかもしれません。ミニラさんからネットアイドルとしてのイメージが壊れるといけないからと,口止めされているのです(嘘です)。
――これで1日目の調査報告はおしまい。つぎは2日目の報告です。
2004-05-06 2004年東京大調査1日目―ミニラさんといっしょ―
――つづき。ミニラさんと待ち合わせしたお話です。
18時をすぎて,ミニラさんとの待ち合わせ時刻まであと1時間になりました。私は「まだ早いかな」と思いながらも着替えを済ませ,外出することにしました。
待ち合わせ場所は「新宿駅西口」というだけで,細かくは決めていませんでした。まだ時間に余裕があったので,私は西口に点在する家電量販店に来ている人たちを「調査」することにしました。私は調査員です(なぞ)。どんな場所でも,気が向けば調査に専念できてしまうのです(さらになぞ)。
調査しているうちに時刻は19時近くになり,そろそろ調査している場合ではなくなってきました。私はさっさと調査を止めて「小田急ハルク」前の歩道橋の上で待つことにしました。そこには都合よく座る場所があったのです。さて,しばらくすると私の携帯電話に,「070」から始まる番号からの電話が着信しました。私はすぐに電話の主がミニラさんであることに気づきました。いまどきピッチを使っているなんて,よっぽどのオタク以外に考えられないからです(補足説明しておきますと,ピッチはケータイと比較して特別悪くも劣った規格でもありません。普及率がイマイチなのは事業者の売り方が下手だっただけです)。
恐る恐る電話ボタンを押してみると,やはりミニラさんからでした。ミニラさんは「いまどこにいるの?」と訊いてきたのだが,私が「何番何丁目」という住所を言えるはずがなく,付近の建物の特徴をずらずらと話しました。するとミニラさんはだいたい分かったらしく,こちらに来てくれました。私はついに生のミニラさんに触ることができたのです(ふめい)。実物のミニラさんは,GGCで拝見したときとまったく同じでした。もっともどちらも同じ人なので,違っていたら困るのですが。お相手が完全型仮想人物だったら,違う人が現われることもあるのかなと思いまして(さらにふめい)。
その後,ミニラさんとご飯を食べることになりました。ミニラさんおすすめの場所があるというので,さっそく某和食チェーン店に出向きました。食べたものは確か豚肉だったと思います。ご飯を食べながら,私がミニラさんと何の話をしたのかは省略させていただきます。ミニラさんから,ネットアイドルとしてのイメージが壊れるといけないからと口止めされているのです(嘘です)。
ところで,私はお土産を渡せなかったことを少し悔やみました。「荷物になるといけないかな」とか「食べ物の好みが分からないし」と思って,用意していなかったのです。でもミニラさんったら鞄を手に持っていたので,小さなものだったら邪魔にならなかったのです。いやはや,次回はお土産を持っていくので許してね。
つづく――
2004-05-05 2004年東京大調査1日目―某便所仮調査―
――つづき。某便所を調査したお話です。
ふしぎ少女とシスターズが集まる便所は複数あり,そのひとつを仮調査することにしました。私は某公園から新宿駅に戻る途中,某ビル内の便所に立ち寄ったのです。
某便所に到着したのはいいのだが,だれもいませんでした。おそらく平日のまだ明るい時間帯だったため,活動が鈍かったのだと思います。そもそも頭の中にある事前情報のみで調査したものだから,違う場所に来てしまったのかもしれません。いやはやヨコ漏れです(なぞ)。さて,私は便所内の個室のドアが特殊であることに気づきました。足下がよく見えるように,ドアの下部が大きく削られていたのです。きっと個室でばい菌の培養,あるいは首吊り自殺(毒)してしまうふしぎ少女への対策なのでしょう。
私は「もう帰ろう」と思いました。だれもいないのでは調査になりません。そうやって便所から出ると偶然,某公園で目撃したシスターズのひとりとすれ違いました。やはりここが問題の便所だったのです。シスターズはこの便所と公園を往復しているのでしょうか。シスターズの謎は深まるばかりです(なぞ)。
こうして便所の簡単な調査を終え,宿泊先に戻ると17時になっていました。ミニラさんとの待ち合わせ時刻まで,まだ時間がありました。それにしても調査に夢中になりすぎて,歩きすぎてしまったかもしれません。私は夜に備えて(深い意味はありません)しばらく休むことにしました。
つづく――次回いよいよ「ミニラ」さんが登場しますよ
2004-05-04 2004年東京大調査1日目―ぼくたちいけないシスターズ―
――つづき。某公園を調査したお話です。
遅い昼食を終えると,時刻は15時を過ぎていました。腹ごしらえが済んだところで,新宿区内の某公園を調査することにしました。噂によると某公園は小さいそうで,ちょっとした緑地という雰囲気の場所らしい。おそらく災害時の避難所を兼ねているのでしょう。
私は周辺地図を脳裏に焼き付け,いよいよ某公園を目指しました。てくてくと歩き出して数分後,あたりには虹色の旗が掛けられた店がちらほら見られるようになりました。おそらく虹色業界人の関連施設なのでしょう。私は店を調査するつもりはなかったので,気にしないで歩き続けました。そうやってさらに歩いていると,目の前に大きな緑地が飛び込んできました。あれが某公園なのでしょうか。私は緑地の入り口に近寄り,石碑のようなものを観察しました。すると目の前の緑地は「御苑」だそうで,目的の某公園ではありませんでした。
私は「道を間違えたか」と思って,引き返すことにしました。引き返してちょっと歩いたところで,今度は小さな緑地を発見しました。名称を確認したところ,そこはまさに私が調査しようとしていた某公園でした。こうして無事,某公園に立ち入ることができたのです。さて,さっそく調査を始めたいところでしたが,その前に立ち位置を確認しました。普通この手の場所では,その人なりの居場所が決まっているものなのです。暗黙にそれを守らないと,「場を読めない人」というように素人扱いされてしまうのです。もっとも,玄人扱いされて幸せかといえば,決してそんなことはないのですが(ふめい)。
私は手早く居場所を見つけ,そっと腰を下ろしました。そして近くのコンビニで購入した水でのどを潤しながら,園内を見渡しました。平日の日中だというのに,数人のふしぎ少女がいましたよ。おっと,この人たちはふしぎ少女ではありませんね。事前情報によればこの公園を屯している輩は金銭目当て,いわゆる「いけないシスターズ」らしいのです(ふめい)。シスターズは生活が掛かっているので(毒),私が調査しすぎてお仕事の邪魔になってはいけません。「ふーん,こういう場所なんだ」と,そこそこ納得しましたし,何より私もシスターズの一員だと思われたら嫌なので,さっさと帰ることにしました。
帰り際に「某ビルの便所にも,ふしぎ少女とシスターズが潜伏しているらしい」という事前情報を思い出しました。ついでなので噂の便所も調査することにしました。
つづく
2004-05-04 2004年東京大調査1日目―遭難するかと思った―
2004年東京大調査1日目,宿泊先に行くまでのお話です。
私が羽田空港に到着したのはお昼の12時半のことでした。京浜急行でJR品川駅まで移動し,JR山手線に乗り換え新宿駅で下車しました。宿泊する某ホテルは新宿駅東口にあるというので,そこへたどり着くには東口から出ればよいそうです。しかし新宿駅は規模が大きく,しかも出入り口が無数にあったものでどこが東口なのかよく分かりませんでした。
あちこちにある案内板と,思わせぶりな矢印記号を信じて歩き回っているというのに,さっぱり東口とやらに着く気配がなかったのです。「あの矢印たちはきっと罠。私を遭難させるつもりなんだわ」などと私は焦りを隠せませんでした(なぞ)。そうやって歩き続けること数分後,どうにか東口に到着しました。ようやく屋外に出られたのです。
照り付ける日差しの中,私は某ホテルへと向かいました。幸い某ホテルは分かりやすい場所にありました。フロントにてチェックインを済ませ,奇跡的にお部屋に到着することができました。そのときの安堵感といったら何ごとにも変え難いものでした(かなり大げさ)。
さて,その日は19時からミニラさんと会食する予定でした。「時刻は14時だな。まだ時間がある」と思った私は新宿区内の某便所と某公園を,いきなり調査してしまうことにしました。私は調査員ですから調査に専念するのは当たり前なのです。オラオラ(ふめい)。
つづく
2004-05-02 2004年東京大調査―予告編の予告編―
こんばんは,4/30から5/2の3日間,関東圏を調査してきました。報告書を書きたいところですが,まだ記憶の整理ができていません。ひとまず頭の中にある「見出し文」や「思い」を綴ってみます。今日は特別に一部の固有名詞をあえて出しておきます。本公開では伏せることにしますが(←おとなの都合です)。
非商業系
ほとんど調査未遂のようなものでしたが,なんとか報告できるかと。
- 新宿公園:「それいけいけないシスターズ」
- 新宿マイシティの地下トイレ:「鏡の中は視線地獄」
- 上野地区:「異次元に迷い込んだ私」
- 新木場公園:「調査員の挑戦そして挫折」
商業系
調査するつもりでしたが断念しました。なぜ調査しなかったのか‥‥。
議事録
- ミニラさんに触ってきました(なぞ)
- ミニラさんとおさんぽ
- ミニラさん対ヴァーチャルY兄貴
- ホムペ大好き「みんなの声援に応えてボク,ホムペを再開します(びっくり記号ふたつくらい追加)」――というふしぎ少女につける薬
ほか
- 人身事故で大人気(毒)のJR中央線に乗ってみたら
- アキバ系ともだち100人できるかな
- 美術・博物館巡りしてきました
- K村さん夜勤明けなのにわざわざ呼んですみません
- ビスケットを少々(ふめい)
【お断り】 MEN'S スーツ・ナイトの具体的なお話は諸事情により公開しないことにしました。楽しみにしていた人はごめんなさい。
2004-04-25 連休の予定―その後6―
こんばんは,連休の予定の続報です。
更新内容
- 1日目に「ミニラさんと会食かも」を追加しました。
- 1日目の「MEN'S スーツ...」の潜入時間を「20時」→「21時」に変更しました。
- 注釈*2を変更しました。「私は下手な変装をしています」という旨の一文を追加しました。
連休の予定
1日目★2004/4/30(金) 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 -------------------------------------------------------------------------------- 08:30 空港連絡バス 11:00 JALXXXX便 12:30 羽田空港 20:00 ミニラさんと会食かも*1 21:00 MEN'S スーツ・ナイト@新宿ACE*2 2日目★2004/5/1(土) 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 -------------------------------------------------------------------------------- 02:00 すいみん 10:00 秋葉原電脳街巡り*3 15:00 世人モデル会議*4 20:00 調査活動*5 3日目★2004/5/2(日) 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 -------------------------------------------------------------------------------- 01:00 すいみん ??:?? 岡本太郎記念館ほか*6 17:55 JALXXXX便 19:30 某空港 19:40 空港連絡バス
*1 ミニラさんの時間の都合が付くのなら,一緒に夕飯を食べようと思います。ミニラさんよろしくお願いします。
*2 私はスーツ姿で出没します。私とお話したいという「奇特な方」がいらっしゃるなら会場でお会いしましょう。といいながら私は諸事情により「下手な変装」をして潜入するつもりです。一目では分からないかもしれません(意図ふめい)。
*3 「実況中継」と称して意味もなくミニラさんにメールを送りまくるかもしれません。気をつけてください。
*4 主題は「揺れる10代の性」です(なぞ)。会場は最寄の喫茶店。飲み物は紅茶(さらになぞ)。
*5 どこを「調査」するかはまだ決めていません。
*6 ほかにも名所を回るつもり。
連絡事項
- 私は事前に体脂肪率の調節をしないつもりです。とんでもなく顔が崩れているかもしれません。ほとんど別人かもしれません。「画像と違う,ウソつき」なんて言われても知りません。
- 見かけることがあってもデンパを送信しないでください。私は強化人間ではないので「ふしぎメッセージ」を受信できません(なぞ)。
- 当日「murono@mtc.biglobe.ne.jp」宛てにメールを送っても私に連絡を取ることはできません。
- 非公式ですが「GGC日々のために」のミニラさんとの合同オフが実現してしまうかもしれません。でも日時も場所も決めていないしミニラさんのキモチ(なぞ)も訊いていないので,公式なオフ会ではありません。事前に参加者を募集することはしませんのであしからず。すべては行き当たりばったりなのです。