2005-05-30 術後日記―術後48か月―
3月のある日,某整形手術の定期検診をしてきました。早いもので術後48か月が経過したのです。近状をお話します。
<画像の説明>「頭部精密撮影室」という物々しい名前がついているのですが,ただのレントゲン室です。頭部をレントゲン撮影してきました。
最近の様子
変わったことは何もありません。レントゲン写真をみても,切断してくっつけ直した骨に異変はありませんでした。神経障害が回復していないのも相変わらずです。
<画像の説明>私のレントゲン写真です。
超整形女との遭遇
頭部精密撮影室の付近には長椅子が設置されており,撮影待ちの患者たちが腰掛けていました。その中で私はひとりの少女に目が釘付けになりました。ものすごく不自然な顔をしていたのです。
たんに化粧が派手なだけだったのかもしれませんが,異様にぱっちりとした目をしており,鼻に至っては黄色人種とは思えない高さと形をしていました。浜崎あゆみを派手にしたような顔だったのです。私は「この女って整形しすぎじゃないのかな」と思いました(自分のことは棚に上げてしまうのです←毒)。なによりその長椅子はどこかしら整形した人が座る場所なのですから,超整形女が紛れていてもおかしくないのです。
私は彼女が整形を決意した日のことを想像しました。「お父さんやお母さんが反対したって無駄なの。既成事実さえ作っちゃえばへーき。メス入れちゃえばもう後戻りなんかできない」などというドロドロしたありさまだったんじゃないのかな,と思ったのです。
「その顔気に入っているの?」なんて彼女と直球勝負したかったのですが,さすがの私でもそこまで下品な発言はできませんでした。彼女はこれから数年来に渡り,術後の崩れに悩まされると思いますが(←根拠なし),きっと乗り越えられるでしょう。あれだけバレまくりの顔で堂々としていられるのですから,乗り越えられるに決まっています(有害)。
2003-10-08 術後日記―術後30か月―
先週の金曜日,市内某外科に行ってきました。顎の整形手術後の定期診察をするためです。これといった大きな変化はないのですが近状を報告します。
骨の切断面,より自然な仕上がりに
手術直後,骨を切り貼りした部分がはっきりしていて恐ろしく野蛮な感じでした。時間が経過するに連れて接合面は滑らかになり,術後30か月の現在では手で触ってもあまり違和感がありません。術後24か月のときよりも触り心地がよくなっているので,この調子で今後も回復していきそうです。
神経障害は相変わらず
これまで神経障害は回復する速さが遅すぎて,症状が改善しているのかしていないのかさっぱり分からない状態でした。夏季を挟んだせいか,6か月前と比較すると自覚できるくらい症状が緩和した気がします。以前は意識して表情を作らないと筋肉が引っ張られて変な顔になっていましたが,この頃はその程度も穏やかになりました。
左右対称への憧れ
診察室にて術前の顔写真を見る機会がありました。当たり前ですがカルテには治療の全記録が残されているのです。昔の写真を眺めた感想は「これはこれで味があったかも」という程度の軽いものでした。平均値に顔の寸法が合うように下顎の骨を加工しただけですので,物凄く印象が変ったかといえばそんなことはなくて,加齢による変化の範囲に収まってしまうほどに見えたのです。
とはいえ,治療までの道のりは決して平坦ではありませんでした。当時の私は「30代までに均整の取れた顔立ちにしなければならない」という切羽詰った衝動に悩まされていたのです。などと言いながら,いちばん悩まされていたのは18歳のときで以後はそれほどでもありませんでしたけどね。私,いろんな医学書を読み漁って治療の限界とやらも知っていたから過剰な期待はしなかったし,自分がこれからどう振舞えばよいかはっきりしてからは冷静だったのです。
ただ,いまでも左右対称に近い顔立ちの人がいると,ジロジロ見てしまうことがあります。私も1mmの誤差で左右対称の骨格にされているのですが,修正されたのは骨格だけで皮膚やら筋肉は何も変っていません。よってレントゲン写真で見るよりも実物はあんまり整っていないのです(毒)。もっともこれが治療の限界だと十分,承知しているのでこれ以上,整えたいとは思いませんけどね。
2003-03-15 術後日記―術後24か月―
某日,市内某外科に行ってきました。某下顎の整形手術の定期診察のためです。手術してから2年が過ぎてしまったせいかこの頃,大きな変化はありません。もっとも変化がないことを確かめるために診察してもらうんですけどね。私の場合,術後の経過はすこぶる順調です。でもなかには骨が定着しないとか体内に吸収されてしまうなんていう怖い崩れ方をしてしまう人がいるそうなので,油断は禁物なのです。
それでは術後24か月目の様子を少々お話します。
骨の曲面はより滑らかに
術後,骨の接合面がとっても凸凹していて怖いくらいでした。いかにも骨を切って貼り付けたという雰囲気だったのです。術後2年がすぎて骨の切断面がより滑らかになりました。手で触るとやっぱり工事跡が分かってしまいますが,見た目にはどこをどう貼り付けているのか分からないはずです。
神経障害はいまだに回復せず
神経障害はいまも完治していません。徐々に回復しているような気はするのだが,回復する速度が遅すぎて自覚できません。神経障害が残っているからといって,それで生活に支障があるのかというと「ない」としか答えようがありません。手術後,私は病室のベットの上で「この神経障害は一生ものかもしれない」と覚悟を決めておりました。症状が軽減することはあっても完治はしないのではないかと薄々,気づいていたのです。神経ってやっぱり傷つくと治らないのですね。
鼻の穴,後遺症疑惑
術後,私は新しい顔に鼻がどうも合わなくて困っていました。べつに鼻は整形していないのに以前と雰囲気が変った気がしたのです。「もしかして整形の後遺症で鼻の穴が上を向いてしまったのでは」ということに気づいたのはいまから3か月前のこと。単なる目の錯覚かそれとも本当に鼻の穴がやられてしまったのか,詳しい検証はまたいつか(なぞ)。
2002-03-30 マルチ・ブラケット装置外れました
久々の歯列矯正ネタです。「最近の出来事 #2001-0713-01 クリア・ブラケット入りました」では上顎右犬歯にクリア・ブラケットを装着したというお話をしました。あれから8か月が過ぎました。先月,ようやくマルチ・ブラケット装置が外れ,移動した歯を固定する治療に進みました。
☆画像の説明:普段はスプリント(orthodontic splints)を噛んで歯を固定しています。スプリントは顎関節症の治療に使うものと見た目は同じようです。
☆画像の説明:下顎前歯の裏側です。正面から見ると差し歯の標本のようですが歯の裏側はきちんと天然歯です。
――さて,ご覧のとおり歯が若干,黄色いです。歯の色は肌の色に合わせるものなので,今のところ漂白するつもりはありません(気が変わってそのうち漂白治療を受けるかもしれませんが)。ちなみに私は 「BRAUN Oral-B Plak Control Ultra D9011」「サンギのアパガード」「ジョンソン・エンド・ジョンソン・デンタルフロス(ノーワックス)」「ジャックス・デンタルプロ歯間ブラシ」「GUM 3列小型歯ブラシ」「ライオン EX kodomo 14M 歯ブラシ」を駆使して歯を磨いています。
2002-03-29 術後―12か月―
下顎の整形手術を受けて12か月が経過しました。この頃の術後の経過を報告します。
現在の様子
神経障害が残っている以外にとくに変わったことはありません。手術したのが遠い昔のことのようです。
☆画像の説明:術後12か月後の頭部側面のレントゲン写真です。その筋の人が見れば下顎の曲面がおかしいことに気づくのですが,素人目にはどこをどう整形したのか分かりません。以前,公開したレントゲン写真にはチタニウム・プレートが写っていましたが,いまはありません。術後10か月後に患部を切開しチタニウム・プレートを摘出したからです。歯の個所に白く写っているのはインレイ(歯の詰め物)です。感光しなかった個所(すなわち放射線がフィルムに到達しない個所)は白く写ります。
回復の変遷
術前,術後の患部の経緯をおさらいしてみます。
☆画像の説明:手術を受ける前の下顎左正面です。
☆画像の説明:手術では下顎を切断し位置を修正しました。切断面は金属製固定具(チタニウム・プレート)で固定しました。この写真は術後1か月後の患部です。まだ切断面がはっきりと分かります。
☆画像の説明:術後6か月後の患部です。骨が再生され切断面が目立たなくなりました。
☆画像の説明:術後12か月後の患部です。切断面はほとんど分からなくなりました。チタニウム・プレートはすでに不要なため,術後10か月後に患部を切開し摘出しました。ところで,術前の骨の形と比較すると曲面が明らかに凸凹しています。曲面が滑らかになるまでには,まだ時間が掛かるそうです。
神経障害は完治せず
術後直後から私を悩ませていた神経障害はいまも残ったままです。術後から数か月の間,神経の回復を促すためのビタミン剤を処方されていましたが,現在は治療らしい治療はしていません。術中に傷つけられた神経は縫い合わせてあるらしいのですが,それが完治するかどうかは分からないそうです。私は手術を受ける前に同意書に署名しました。同意書に書かれていた留意事項は「術中に他人の血液を輸血することがある」,「術中,麻酔事故で死ぬことがある」,「患部に後遺症が残ることがある」というものでした。私はこれらに同意しましたし,神経障害の後遺症はすでに日常生活に支障がない程度には回復しています。ですからあとは症状が緩和するように,苦痛にならないように自分で工夫するしかありません。
いま私は神経障害を克服すべく表情のレッスンをしています。神経障害の程度は微々たるものなのです。それでは何が問題なのかというと,顔の筋肉を動かしたときにその移動量を正確に知ることができないことです。そこで鏡の前でさまざまな表情をして,どれだけ筋肉を動かせばどういう表情になるのか視覚情報で記憶します。このメソッド(method)はすでに完成されています。どこがどう麻痺しているのか分からないほど自然な表情を作ることができているはずです。
神経障害は完治していないものの,私は治療結果に満足しています。「交通事故に遭うのが怖いから,自動車は運転しないし自転車にも乗らない」という生活は味気ないものです。なにひとつ矛盾がなく安全で整理された世界では,まるで生かされているだけのようなのです。私は生きているのか死んでいるのか,自分で決めることすらできないブサイクにはなりたくないのです。
2002-03-03 術後日記―その22―
「術後日記―その20―」では「顔面体操したおかげで整形個所が馴染んできたのかもしれない」という話をしましたが,やはり効果があるらしい。久しぶりにブサイク顔写真掲示板風の画像を撮影してみたら,以前よりもまとまりのある顔立ちになっていました。
☆画像の説明:先ほどの私です。「斜め」と「ほぼ側面」の角度から撮影してみました。「歯を見せた笑顔」はまだ訓練中なので,仕上がりが不自然です。私は以前から「笑顔が醜い」と悪評なのですが,相変わらずおかしな個所の筋が引っ張られてしまいます。ちなみに首にタオルを掛けているのはご愛嬌です。(デジタルカメラ:FinePix4800Z,フォトレタッチ:Dibas32)
余談だが4年間,紫外線対策を続けたらこういう質感の肌になりました。「紫外線対策に興味があるんだけど実際,どれだけ効果があるの」と疑問な方はご参考にどうぞ。
2002-01-20 術後日記―その21―
16日から市内某医院に入院しておりましたが18日の正午に無事,退院いたしました。昨年の3月,私は下顎の整形手術を受けました。その際,下顎に金属プレート(固定具)を埋め込み,切断した骨を固定する処置を受けました。今回,入院した理由はその金属プレートを摘出するためです。具体的な手術内容をお話をすると下顎を切り開き,埋め込まれていた金属プレートとスクリュー(ねじ)を摘出しました。手術時間は1時間ほどでした。まだ患部に縫合の糸が残ったままなのですが,抜糸は外来でよいそうです。患部の腫れ具合が気になるところですが,外観はあまり腫れたように見えないので生活上,目立った支障はありません。
今回の入院生活は穏やかに終わりました。点滴されたのは術時の麻酔薬と生理食塩水のみでした。腫れ止めと称する薬物(おそらく消炎症剤だと思う)は皮下注射,抗生物質は経口投与で済みました。なにより体内から異物を取り除いたからでしょう。入院中はとても清々しい気分でした。なにしろ全身麻酔から醒める直前に楽しい夢を見ていたくらいですからね。今回の入院で苦痛らしい苦痛はありませんでした。
一連の手術を経て私の整形治療はすべて終わりました。仕上がってみると派手でも控えめでもない,自然な顔になりましたね。これで人生の目標の1/10を果たせた気がします。
☆画像の説明:患部から取り出したブツです。フラット・ベット・スキャナで取り込みました。なぜ私が摘出物を所持しているのかというと,執刀医にお願いしたからです(術前に頼んでおいたら入手できました)。画像では確認できませんが,現物を凝視すると赤色の血痕らしきものが微かに見えます。
☆画像の説明:患部のレントゲン写真です。「術後日記―その18―」で紹介した画像と同じです。この個所からブツを摘出しました。
2001-12-23 術後日記―その20―
以前,「鼻の部品が不釣合いで気になる」という話をしていましたが,ここ1か月ほどで良い具合になってきました。ようやく整形した個所が馴染んできたんですね。せっせと顔面体操した甲斐がありました(実際のところ,顔面体操の効果があったのかなかったのかは不明です)。
2001-12-07 術後日記―その19―
有給休暇を取って市内某医院へ行ってきました。頭部某個所の2度目の手術の打ち合わせをするためです。センセ曰く,今度の手術は楽なんだそうです。「下顎を切り開いてスクリューピン(ネジ)を抜き取って,金属プレート(固定具)を摘出するだけ」なんだそうです。そりゃセンセたちは毎年,何十人もの患者に同じ処置をしているから慣れっこなんだろうけど,患者にとっては容易ならない出来事です。「楽だから」と言われて喜べるわけがありません。
しかも術後,やはり腫れるらしい。前回の術後の経験からすると,最低2週間は不自然な顔つきになるものなのです(ほとんど腫れない人もいるそうなのだが,自分も腫れないという根拠はどこにもない)。さすがに2週間も会社を休むわけにはいかないので,腫れぼったい顔のまま職場に復帰することになりそうです。しかしながら,今度の手術が済めば,私の顔面修整外科治療はすべて終わります。私はこの治療を受けて,生活の質をずいぶん改善することができました。整形手術はすばらしいものです。
2001-10-12 術後日記―その18―
術後の経過観察のため市内某医院に行ってきました。今日は私のレントゲン写真を入手することに成功しました。「入手した」といっても写真(ポジフィルム)をスキャナで取り込んだのではなくて,ライトボックスに載せた写真をデジタルカメラで撮影したものです。折角,撮影する機会があったのに,実際に撮影できた画像はレンズの収差のおかげで寸法が正しくありません。コンピュータでレントゲン写真を計測すると面白そうなのですが今回は見送ります。
余談だがマジマジと自分のレントゲン写真を見ると,「私ってやっぱり脊椎動物なのね。アオミドロとかゾウリムシじゃなくて良かった(ふめい)」などと日常,意識することのない身体性を実感してしまいます。
☆デジタルカメラ:FinePix4800Z,フォトレタッチ:Dibas32
こんなに継ぎ接ぎだらけです
☆画像の説明:側面のレントゲン写真です。左が術後1か月,右が術後6か月です。両者の写真を比較すると骨の切断面が滑らかになっていたり,噛み合せの深さが若干変わっていたりしていることに気づくのですが,素人目には何が違うのかよく分かりません。しかしながら,下顎の臼歯付近に鎖状の人工物が埋め込まれていることに気づくはずです。
☆画像の説明:埋め込み物の拡大写真です。切断した(骨折点に沿って引き離した)骨を金属製の固定具で仮止めしてあります(なぜ「仮止め」なのかは後述します)。私は修正量が大きかったので,固定具が二つ使われています。普通は一つだそうです。
☆画像の説明:正面のレントゲン写真です。側面のレントゲン写真と同様に左が術後1か月,右が術後6か月です。その筋の人が見ると,術後1か月の頃はまだ骨が宙ぶらりんだったことが分かります。私,この時期には会社に行っていたんですよね。自分で言うとおこがましいですが,感心してしまいます。
来年,再手術します
埋め込まれている留め金を摘出する日程が大まかに決まりました。留め金はあくまで仮止めであって用が済んだら取り除く必要があるそうです。再手術の正確な期日はひみつです。だって術後に変な人が病室に入ってきて,人工呼吸器でも外されたら本当に死んでしまいますからね(毒)。
2001-09-25 術後日記―その17―
術後,6か月が経ちました。この頃の様子を少々。
古傷が痛むような
肌寒さを感じられる季節になりました。稀に患部に鈍い痛みというか刺激を感じることがあります。涼しくなって血行がやや悪くなっているからなのかもしれませんが,原因はよく分かりません。
この顔は私ではない
神経障害はその後も緩やかに回復しています。この頃,感覚がさらに鮮明になってきたのですが,同時に整形した個所に違和感を感じるようになりました。以前,私は整形した個所を目で見て違和感を感じていました。そして,その感覚はいつの間にか消失しました。視覚は術後の顔に慣れたのです。
しかし,触覚はまだ慣れていません。今まで患部の神経が酷く麻痺していたので,術後,顔の形が変わっているのに,それがどれだけ変わっているものなのか,触覚では感じ取れていなかったのです。それが分かり始めると,とても不気味なものです。この顔は私ではありません。記憶の中にある形と,実際に感じ取れる形とが一致しません。どうも見当違いな場所に見当違いな部品が乗っかっているような,喩えるのは難しいですが鼻が逆さまについているとか,そんなような雰囲気です。
恥ずかしい告白――私はパパにこんな恥ずかしいことをされました――
ちなみに,ネタをバレしてしまうと,http://www.lorenzsurgical.com/images/plates.jpg ←こいつとほとんど同じ部品が四箇所に埋め込まれています。
術中,パパに http://www.lorenzsurgical.com/images/external.jpg ←これと似たとても恥ずかしいことをされてしまいました(猛毒)。
そのあと http://www.lorenzsurgical.com/images/jaw.jpg ←こんなふうに仮止めしてもらいました。現物は画像よりも大人しめに仮止めされています。レントゲン写真で結合個所を見ると,「こんなに小さな部品で本当に大丈夫なのか」と不安になるほどです。皮膚の上から繋ぎ目を指で触れてみても,埋め込み物の存在は確認できません。多い日でも安心なのです(いみふめい)。
これとは別にもう一箇所イジっているのだが,こいつをやったばかりに術後,鼻血が止まらなくなってパッキャラマードでした(恐ろしく苦痛だったという意味)。その話はまた次回。
「術後日記」を楽しみにしている人がいるのか,まったくもって不明です。「怖すぎる」と思う人がいたらご一報ください。
2001-07-29 術後日記―その16―
術後,4か月が経ちました。この頃の出来事を少々お話します。
ゼミの後輩と会う
有給休暇を取って大学の研究室に行く機会がありました。ゼミの後輩と研究の打ち合わせやら雑談をするためです。某Mくんが言うには,術後の私は精悍な顔立ちになったそうです。でもそういう感想を聞き出せたのはMくん一人だけでした。大方の人は,どこをどう整形しているのか分からなかったようです。まあ予想どおりの結果です。
さて,私を含めて大学院生は整形手術に肯定的というか,大したことだと思わない傾向があるそうです(元ネタはNews Week誌の記事です)。実際そのとおりだと思いました。
笑顔の練習しています
術後,神経が麻痺しているという話を何度もしていますが,今も痺れています。感覚が麻痺しているせいで,私はたまに不自然な表情をしてしまいます。不自然といっても,あからさまに神経が麻痺しているように見えるんじゃなくてちょっと悪人相になってしまうのです(元々,悪人相だから仕方がないんだけど)。この悪人相をなんとかするために,私は暇なとき顔面体操をしています。お風呂やら洗面台の鏡の前で,笑顔の練習をしているんです。練習風景はかなり危険なのでお見せできませんけどね。
鼻の部品がどうも気になる
鼻の部品が相変わらず気になります。術後,顔の腫れがひいていない頃から「変な感じがするな」と気になっていたのですが,腫れが完全にひいた今もなお違和感があります。もう,こればっかりはどうしようもないから,なるべく見ないようにしています。私はサマンサじゃないので意識して鼻は動かせません。
整後の顔が完全に馴染むまでに,おおよそ2年間掛かるそうです。なんでも軟組織(皮膚やら筋肉のことをこう言うらしい)はなかなか定着しないんだそうです。
2001-07-13 クリア・ブラケット入りました
ここ数か月,整形の話が続いたので久しぶりに歯列矯正の話をします(どっちも似たようなものですが)。今日,診察を受けたとき一部のブラケットを付け替えました。どうやら歯の高さを調節するためのようです。診察が終わってから,私は右の犬歯に装着されているブラケットがいつもと違うことに気づきました。第一印象は「あれれ,いつものブラケットよりデカイ,何コレ」。早速,センセに尋ねてみました。すると,今回はクリア・ブラケット(材質が透明な樹脂のブラケット)を1個だけサービスしてくれたんだそうです。私は矯正治療を始めたとき大学生でしたが,今では普通の会社員です。社会人に金属製のブラケットを付けるのは,歯科医として気が引けたのかもしれません。どうせ付け替えるんだから,目立たない部品にしてあげようという計らいだったのでしょう。歯列矯正の目的を蘊蓄(うんちく)するなら社会性の側面は無視できませんからね。
ところで私,金属製のブラケットって嫌いじゃないんですよ。コイツが見え隠れすると,まるで出来損ないのサイボーグ(cyborg = cybernetic organism)みたいなのです。私はそういう怪しい雰囲気が大好きなのです。それにクリア・ブラケットはどうも舌触りが良くない。まだ慣れないせいだと思いますが,いかにもプラスチックが張り付いているという感触なのです。
※画像の説明:初公開,私の上顎右犬歯付近の様子です。余談だがデジカメで接写するのが難しかったです。ピントがなかなか合わなくて。
私の“工事”はどこまで進んでいるのか
年内にマルチ・ブラケットを使った治療が終わるそうです。あとは歯を固定する装置を1年間くらい使って,矯正治療のすべてが終わります。しかし困ったことが一つ。当たり前なのですが,歯列を矯正するとだれでも似たような歯並びになってしまいます。みんながみんな差し歯の標本になってしまうのです。これはイケてない。ほどほどに揃えるのがこの頃の流行(トレンド)です。この近辺の問題はこれからじっくり対策を練ろうと思います。まだまだイジりますよー(ふめい)。
※画像の説明:衝撃の画像をもう一つお見舞いします。私の歴代の印象(歯型)です。自分では歯がどう動いたかなんて覚えていませんが,印象を比較すると別人の歯型に変貌していることに気づかされます。「最近の出来事 #1997-1027-01 電動に魅せられて」(昔の文章なので文体が若いです)を書いたときから,すでに4年間弱の月日が経過しました。人間の体ってこれだけの期間があれば自在に加工できるものなんですね。
【追記 30 MAR 2002】 その後,マルチ・ブラケット装置による治療は終了し,歯を固定する治療に移りました。そのお話は「最近の出来事 #2002-0330-01 マルチ・ブラケット装置外れました」にあります。
2001-07-04 術後日記―その15―
神経の痺れの具合がよくなってきました。暖かな日々が続いているせいかもしれません。術後の経過は安定しているので,取り立てて話題らしい話題はないのですが,今日は入院と術後の心境の変化のお話をします。
入院は気持ちがいい
入院生活は苦痛なのでしょうか。いいえ,むしろ気持ちがいいくらいです。整形手術の患者は,病人ではなくて怪我人です。元々,内蔵が悪くて入院しているわけではないので,術後,驚くほど早く回復します。顔の修整は傷の程度が知れているからなおさらです。病院食は完璧です。カロリー,栄養バランス,まったく文句の付けようがありません。私は基礎代謝の量を加味して,通常の熱量に300キロ・カロリーほど追加された食事(400キロ・カロリーだったかもしれません)を摂っておりましたが,太りもしなければ痩せもしませんでした。
抗生剤の点滴を引き摺って院内を歩く姿は,傍から見て痛々しいかもしれません。しかし,薬物の効果は絶大です。毎日とても体調が良いのです。
ほかの場所もイジりたくなる
整形が趣味という人がいるようですが,私はそのような心境を理解できます。実際,一箇所いじると,ほかの個所との釣り合いが気になってしまうのです。すでに均整が取れているはずなのに,何となく気に入らないのです。私の経験をお話すると,術後しばらくの間,鼻の部品が不恰好で浮いているように感じました。その錯覚がどうしようもない嫌悪感に達したとき,何度も手術するという行動に走るんだと思います。修整すればするほど自然なカタチから遠ざかってしまうはずですが,おそらく気に掛からないのでしょう。修整前の顔は思い出せませんから,相対的な比較しかできません。再手術に踏み切る理由も,「ただ何となく気に入らないから」なのではないでしょうか。
興味のある方は
文献を紹介します。「市田正成 著,谷野隆三郎・保阪喜昭 編,『美容外科手術プラクティス』,文光堂,2000」(http://www.bunkodo.co.jp/pdf/pdfbiyogeka.html) がとくに分かりやすいです。私は暇なとき,丸善で立ち読みしています。
2001-06-17 術後日記―その14―
術後3か月が経ちました。現状報告を少々。
まだ痺れています
神経の痺れは相変わらずです。回復しているのは確かなんだけど,変化が穏やかすぎて実感できません。以前は「6か月くらいで完治するのではないか」と楽観していたけれど,この調子では1年掛かっても元に戻りそうにありません。
注射針の傷跡はいまだ消えず
左腕には点滴の針の跡がまだ薄っすらと残っています。コイツがこんなにしぶとかったなんて‥‥まったくもって予想外でした。
縫い目もまだあります
切開した個所の縫い目は,薄くなることはあっても消えることはないそうです。実際,某個所の傷跡は生々しいまま残されています。しかしながら,「ここが縫い目です」と言わなければ第三者には絶対に分かりません。私に撮影禁止のアングル(angle:角度)はありません。
――正確な期日はまだ決まっていませんが,年末にもう一度,入院します。今度は前回の手術で埋め込んだ留め金を摘出します。その手術が終われば,私の顔面修正は完了します。まあ終わってしまえば,どうってことないでしょうね。
2001-05-28 術後日記―その13―
先週,通院した際,私は医師にビタミン剤を飲むと薬疹が出るという相談をしました。あのビタミン剤には神経障害の治癒を促す効果があるのだが,薬疹が出るなら服用を中止した方がよいそうです。そういうわけで先週から服用していません。しかし,服用を中止したら痺れの症状が悪化してきました。当たり前といえば当たり前なんだけど,症状が3週間後戻りしたようで残念。
2001-05-21 術後日記―その12―
3週間ほど前から顔面に発疹が表れていたのだが,どうも処方してもらっているビタミン剤の副作用だったみたいです。先週から服用を中止したらよくなりました。稀に薬疹が出るという話は聞いていたが,まさか私がその被害に遭うなんて。
2001-05-14 術後日記―その11―
退院して6週間(+2日)が経過しました。術後の経過は先週と変わり映えしないので,今日は思ったことを少々。
消えない傷
よく見てみると傷跡が生々しいです。気にならない場所にあるので社会生活に支障はありませんが,凝視すると縫い目がはっきり分かります。縫い目がどこまで目立たなくなるのか,先生から説明を受けたことがありません。次回,通院したとき尋ねてみます。
術前と術後の比較画像の公開
今のところそのような予定はありません。ネタとしては非常に面白いのだが,たぶんほとんどの人は「なーんだあんまり変わってないのね」と興醒めするでしょう。でもそれは当たり前です。なぜなら,整形手術の目的は生活の質(quality of life:QOL)を向上させることだからです。重視される事柄は「修正によってどれだけ快適な生活ができるか」です。「どれだけ顔が変わるか」とか「いくらお金を費やすか」ではありません。
これから整形したいと思っているあなたへ
結論を言うと,大学3年生の夏休みまでに済ませてしまった方がよいです。この時期を過ぎると予定を立てるのが難しくなります。術後,患部がひどく腫れます。手術内容や皮下出血の度合いによりますが,14日間は人前に出られません。整形手術には,およそひと月の空白の期間が必要でしょう。
2001-05-04 術後日記―その10―
処方されている薬が切れそうです。末梢神経障害を改善するために「メコバラミン(ビタミンB12製剤)」を食後に飲んでいるのだが,6日以降の薬がありません。もっともただのビタミン剤なので,薬局で買える薬で代用できるはず‥‥と思って調べてみたらありました。「エーザイ・ナボリンEB錠」がそうです。しかし値段が極端に高いような気がします。
来週末,通院するのでそのとき処方してもらいましょう。
2001-04-30 術後日記―その9―
退院して4週間(+2日)が経過しました。先週の状況を総まとめにして報告しましょう。
神経の麻痺は着実に回復
麻痺していた個所の感覚が鮮明になってきました。1週間でかなり回復した気がします。一時は,「一生このままなのか?」と半ば覚悟を決めておりましたが,どうやら杞憂に終わりそうです。
腕まくりはいけません
左腕には,まだ注射針(点滴の針)の痕が薄っすらと残っています。一見,蚊に刺された痕のようなのだが,見る人が見れば注射針の痕だと分かってしまうはずです。どうしてかというと,血管に沿って傷跡があるからです。もし人さまに左腕を見られようものなら,「実はク○リをやっている」などとあらぬ疑いを掛けられてしまいそうです。おいそれと腕まくりできません。
昔の顔が思い出せない
この頃,術前の顔が思い出せません。容貌を特徴付ける個所を修正したわけじゃないから,記憶に違和感を覚えるほどの影響はなかったのかもしれません。‥‥などと言いながら,観察する角度によっては「大胆に加工したんだなー」と自覚できます。
2001-04-15 術後日記―その7―
退院して2週間(+1日)が経過しました。先週の状況を総まとめにして報告しましょう。
顔面の腫れが大幅に軽減
ほぼ完璧に腫れがひきました。ひき始めるまで時間が掛かったけど,ある一定の勢いがつくと加速度的に回復するみたいです。
痺れはやや軽減
神経の麻痺の程度もかなり軽くなりました。まだ痺れた感覚はあるのですが,安眠を妨害するほどではないです。
気が付けば自然な仕上がり
修正個所がなじんできました。腫れが残っていたときは,なーんとなく不自然な顔立ちでしたが(各パーツのバランスが悪かった),腫れがひいたらすこぶる良い感じです。私の場合,某個所の修正処置に4時間も掛かったのだが,それだけの手術に挑んだ甲斐がありました。
――とはいえ,左腕に残された注射針の痕はまだ消えていません。点滴の針って強力だから(なぞ)なかなか傷が回復しないのね。
2001-04-08 術後日記―その6―
退院して1週間(+2日)が経過したので,これまでの状況を総まとめにして報告しましょう。
やはり疲れる
終日,疲労感に襲われました(意識が朦朧として思考が停止してしまう)。あらかじめ覚悟していたものの,退院2日後からお仕事(新人研修)というのは,かなりキツかったみたいです。週の後半からは,食事を栄養過多に傾けたのが幸いしたのか,いくらか楽になりました。
眠りが浅いぞ
四六時中,神経の痺れが刺激になっているせいか,よく眠れません。眠りが浅いおかげで頻繁に夢を見てしまいます。今週もこの状態が続くようなら,睡眠薬を処方してもらおうかなと思います。
社員証の写真と違うようですが
顔の腫れは日を追うごとにひいていきます。なので「今日と前日とで顔の形が違う」という困ったことが起きてしまいます。ただ変化の度合いは微妙で,当人にしか分からないようです。実際,何の差し障りもありませんでした。
――というわけで,なんとか1週間を切り抜けることができたのだが,これから困りそうなのが社会的な問題。社員証の顔写真と現物が微妙に違うんですけど,どうしたらよいでしょうか。それに掛かり付けの床屋さんに行けなくて,髪の毛は伸び放題。ちょっぴりイヤンな感じです。
2001-04-03 術後日記―その5―
手術で影響を受けた神経の痺れが頂点に達しています。四六時中,痛いような痒いような感覚に襲われています。神経が回復するときにこういう症状が出るらしい。
2001-04-02 漏れそうで漏れない
この頃,術後の経過報告になってますね。今回もそのネタです。
今日から仕事が始まりました(まだ研修期間なので実務には就いてないんですけど)。研修会場で,同じ会社に勤めるKくん*1とTくん*2の二人と顔を合わせる機会があったので少し緊張。なぜなら,二人とも修正前の私の顔を知っているからです‥‥なんていう言い方をすると意味深ですね。
Kくんはとくに気付かなかったみたいです。でもTくんには,「どこか雰囲気が違う」と言われてしまいました。私は一瞬,焦りました。「バレてしまうのか?」と思いながら,「髪型がちょっと違うでしょう」と切り替えしてみると,彼は「ああ,そうか」なんて納得した模様。氏,曰く「どこか違うんだけど,どこが違うのか分からなかった」そうです。作戦大成功です。あからさまに「いじった」と分かるようでは整形失敗です。いやホント,人の記憶なんて当てにならないものですね。
*1 ゼミの後輩なのだが会社では先輩という少しおかしな関係。
*2 大学では後輩だが会社では同期。
2001-03-31 退院しました
ただいま帰宅しました。術後の経過がよかったので,予定よりも早く退院することができました。まだ「腫れ」と「痺れ」が残っていますが次第によくなるはずです。
それにしても,いまの髪型は新しい顔に合っていません。全体の均衡を取るためには試行錯誤が必要みたい。また短髪にしちゃおうかしらん。
2001-03-26 ↓一時帰宅しました
15日から顔面の某個所を修正する処置を受けるため,市内某医院に入院しておりました。まあ,整形みたいなものです。今まで黙っておりましたが,「雲隠れする」と言ったのはそのような理由です。術後の経過は順調で,腫れと内出血は思ったよりも早く引きました。今日は外出許可をもらって3時間だけですが自宅に帰ってきました。これから病院に戻ります。埋め込まれたブツはまだ生体に密着していないんだそうで(ふめい),もうしばらく安静が必要だそうです。
事の報告は心の準備ができてから‥‥いや,準備できたとしても,するかどうか分かりません。日記のようなものをザウルスに記録しているので,今後,何らかのネタにすることだけは確かです。
「CD4が100を切りました」という類の理由で入院しているわけではありません。ご安心を。ちなみに,私は「IZ∩MIちゃん」(なぞ)に触発されたわけじゃありません。修正個所も違うのであしからず。
1998-01-21 あの味がする
最近の出来事 「電動に魅せられて」 27 OCT 1997 では、「わたし歯列矯正しています」っていう話をしましたが、まだしてます.歯列の矯正っていうのは、数か月で終わるようなお手軽なものじゃなくて、数年間掛かるものなんです.口の中に入ってる装置は、歯が移動するのに合せて調節されていきます.ぼくの場合、今は、だいたい1か月おきに歯医者さんへ通っているんです.
昨日、久しぶりに装置を交換したんだけど、いつもとは違う痛みがありました.でも、どこが痛いのかっていう痛い原因は分かりません.装置を交換してからの当日から3日っていうのは、あちこち痛かったり違和感があるものなんです.だから、痛い場所を一個所だけ特定するっていうのはできないわけ.
それで、今日、朝起きたら血の味がするのに気づきました.口の中のどこかが出血しているみたい.鏡でチェックしてみたら、臼歯付近の頬の粘膜が、えぐれてグチャグチャになっていました.ワイヤーの端が粘膜を傷つけたんですね.痛い理由が分かってちょっと安心です.でも、口の中の傷が治るまでは悪いことできないッス.(ふめい)